Wikipediaに記載されているので、その記事を引用する。
諏訪山公園
諏訪山公園(すわやまこうえん)
兵庫県神戸市中央区諏訪山町の六甲山地諏訪山中腹から山麓にかけて存在する公園。
概要:
開園は明治時代初頭。当初は諏訪山遊園という名称で、園内には諏訪山動物園(王子動物園の前身)が設けられていた。
現在は諏訪山展望台とヴィーナスブリッジ、金星台、諏訪山児童公園などで構成される。
諏訪山中腹の展望広場が金星台と呼ばれるのは、1874年(明治7年)12月9日に当地でフランスの天体観測隊が金星の観測を行ったことに由来する。金星台と諏訪山展望台を結ぶ螺旋橋をヴィーナスブリッジといい、この名称も金星(Venus)に因んでいる。金星台にはラジオ塔が現存している。
ということで、諏訪山展望台とヴィーナスブリッジ、金星台、諏訪山児童公園の写して来た写真をアップし、金星観測の簡単な解説をするのが目的である。
諏訪山展望台 奥の建物はレストラン ジャンカルド。
レストランは正面からみると、このようなスタイルで海に向かう側はガラス張りで食事と眺望を楽しめるようになっている。斬新なデザインだが、屋根が一部錆び始めている。
展望台広場の海側に面したところがビーナステラスである。
これが愛の鍵モニュメントで、カップルがここで愛を誓うそうだ。そういえば天気の良くないにも拘わらず何組もの若いカップルが愛を確かめに来ていました。
天気が良いとこのような眺望が見える。
ビーナステラス「愛の鍵」にまつわるお話がこの掲示板に説明されている。
中央部分と右端部分を引用する。
愛の鍵モニュメント (中央)
太陽が上がる、あるいは沈むその少し前、青色に包まれた世界の中で
一番明るく輝く星、それが金星である。
モニュメントは、その金星のわずかな輝きを造形的に焼き付け、
神戸の街並を一望できる爽快な立地と調和共鳴するような、
軽快でリズミカルなデザインにした。
訪れた恋人達が鍵を取り付けることによって
互いに愛を誓うつかの間の休息の場で・・。
「愛の鍵モニュメント」デザイナー 渡部高弘
金星(Venus) (右端)
地球から見ると、金星は明け方と夕方に見ることができることから、
明け方に見えるのは「明けの明星」、夕暮れ時に見えるのは「宵の明星」です。
世界の国々で夜空に美しく輝く金星には、女性の名が付けられていることが
多く、西洋ではローマ神話に登場する、「愛の美」の女神であるビーナス
(Venus)と名付けられています。
ビーナスはギリシャ神話のアフロディテと同一視され、金星を司る女神と
されています。
ここ諏訪山公園のビーナスブリッジでは、平成12年頃から”この場所で鍵を
つけると願いがかなう”という噂が広まってきました。
夜景の美しさと共に、「愛の鍵」伝説の場所として、今では多くのカップルが
この地を訪れ、鍵を取り付けるようになっています。
さぁ、皆さんも夜空に美しく輝く金星~Venus~に願いをこめて、
「愛の鍵」に想いを託してみてはいかがでしょうか。
神戸市
神戸市広報が「愛の鍵」をつけるという風習を広めたのでした。この鍵ですが、現在は鍵でぎっしりとはいかないようです。
このテラスからビーナスブリッジが見える。 螺旋橋になっていて、展望広場につづいている。
私は道路からこの橋を登って展望台に達した。 そのお蔭で下方から橋を見上げることができ、その構造を窺うことができた。橋というよりモノレールのような構造になっています。
道路(再度山ドライブウエー)からの橋の遠景。
橋はこのように屈曲しており、橋桁などかなり複雑な構造になっている。
この橋からの神戸市内の眺め。
曇り空でイマイチですね。
ビーナスブリッジの動画か何かがあるのでないかと思い探してみました。まんまの動画があったのでアップする。
(神戸観光)神戸の街が一望できるビーナスブリッジ kobe japan Venus bridge
ビーナスブリッジの下に標識がある、金星台・市街地の方向に下る。
金星台(展望広場)
広場北側に小高い丘があってそこに石碑が二基並べられている。また円筒形の石碑もある。雨が降り出してきたので、それらの写真を撮るのは断念した。
今回調べてみてわかったが、勝海舟が 開いた私塾神戸海軍塾の碑 「海軍営之碑」 と金星観測の石碑であった。
海軍営之碑の画像。 このブログページから入手。
ヴィーナスブリッジ【諏訪山 金星台】 <神戸 中央区>
金星過日測檢之處の石碑
雨がしとしと降っているので写真の右側に写っているベンチで一休みしていた。
金星台の名は明治時代の金星の観測に因んでいる。この歴史的な史実について殆ど知らなかったので調べてみました。
国立天文台NAOJの記事より: 日本において初めて観測された「金星の太陽面通過」
1874年(明治7年)12月9日、日本を含むアジア地域で、金星の太陽面通過の全過程が観測できるということから、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、ロシア、アメリカ、メキシコなどが世界75箇所もの地点で観測を行いました。そのなかで、アメリカ、フランス、メキシコは日本にも観測隊を派遣しました。
各国からの観測計画を知った政府はその意義が理解できず、当時の文部省顧問であったアメリカ人教育者ダヴィッド・モルレー(David Murray)に解説を求めました。モルレー氏が、金星の太陽面通過の解説を交えて、日本で観測する観測隊への協力要請を文部省に提出したものが、「金星過日」(きんせいかじつ)という文書です。
こんな日本語の文書を残しているのですね。それによると1872年12月7日と記されている。
当時の金星観測の様子
この300年ほどでは、金星の太陽面通過はつぎのようになる。私は、2012年6月6日(と思う)に六甲篠原台で黒い下敷きを通して金星が太陽を移動するのを見た。小さすぎて殆ど見えなかったのを憶えている。
1761年6月6日 | 日中 |
1769年6月4日 | 日出帯 |
1874年12月9日 | 日中 |
1882年12月7日 | 夜間 |
2004年6月8日 | 日没帯 |
2012年6月6日 | 日中 |
2117年12月11日 | 日中 |
2125年12月9日 | 夜間 |
その名古屋での観測画像
次回は100年後である。ということで、もう見る機会はないですね。
塩屋天体観測所の記事より: 金星台
神戸にはフランスからJ.ジャンセンが来訪。ジャンセンは長崎で観測を行う一方、神戸には別働隊として観測員のドラクルクと日本人・清水誠を派遣しました。彼らは諏訪山に拠点を設けて観測を実施し、見事に成果を上げました。これを記念して名付けられたのが諏訪山公園の「金星台」です。
諏訪山児童公園
神戸市立諏訪山動物園(1937-46)は戦後、昭和26年(1951)に王子動物園に移行した。 跡地は遊具広場となり、それがこんp諏訪山児童公園である。滑り台やの船形の遊技施設などが設置されている。
この公園を下れば諏訪山公園の登り口にでる。 これでおしまい。
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