腰の調子がよろしくないので、新開地から市バスで湊川公園まで行き、神戸市営地下鉄に乗り換えて大倉山まで出た。歩くのをさぼったのである。
大倉山駅 改札 この駅は余り利用したことがない。概して地下鉄のどの駅も特徴がない。各駅ごとに特徴のある壁画やモニュメントを設置するなど変化をつけて欲しいと思うのだが如何なものだろうか。
駅には湊川神社の掲示板があったが、この八宮神社については何もない。駅構内地図にも書かれていない。 湊川神社に比べるとあまりにマイナーな神社である。
しかし、駅から地上に出てすぐの所にあった。見つけるのに苦労することはない。
この鳥居のある場所は脇門にあたる。
二の鳥居 額束には八宮神社とある。
脇門に立つ社碑 かっては村社であった。 境内はむしろ狭い。
八宮神社 (神戸市)
八宮神社 | |
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所在地 | 神戸市中央区楠町3丁目4-13 |
位置 | 北緯34度41分4.5秒 東経135度10分30.8秒座標: 北緯34度41分4.5秒 東経135度10分30.8秒 |
主祭神 | 天津彦根命・熊野杼樟日命 |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 7月13日(六宮祭) 10月9日(八宮祭) |
八宮神社(はちのみやじんじゃ)
神戸市中央区楠町に鎮座し、生田裔神八社の六宮神社と八宮神社とが合祀された神社。
ご祭神:
六宮祭神
天津彦根命(アマツヒコネノミコト)
天照大神と素戔嗚尊が誓約(うけい)をした際に生まれた五男神の第二子。
応神天皇
今回はこの画像です。人形ヴァージョンである。
八宮祭神
熊野杼樟日命 ( クマノクスビノミコト)
画像は見つからない。
素盞嗚尊
(スサノオノミコト)
今回はこの画像。
神功皇后三韓征伐の帰途、生田神社の裔神八柱の神を8か所に奉斎された内の2社で、坂本村の鎮守社。
- 明治12年(1879年)10月村社に列す。
- 明治20年(1887年)最初の神戸市役所が新築されるため、八宮神社が現在地に移転。
- 明治42年(1909年)5月7日、楠高等小学校(現・湊翔楠中学校)新設により六宮神社が八宮神社に移転。
- 大正4年(1915年)10月30日、神饌幣帛共進社に指定される。
- 大正14年(1925年)9月29日、正遷宮。本殿北側に六宮神社、南側に八宮神社が鎮座している。
それでは境内の参拝を始める。 正門の参道にも石鳥居立っている。
一の大鳥居
社碑 シンプルに八宮神社とのみ刻されている。
石畳の参道両脇には常夜灯が左右三組並んでいる。
境内にある常夜灯
奉納碑 境内に、拝殿増築、鉄筋防火壁、敷石などを行ったと標した記念碑である。
拝殿 お賽銭箱はありませんでした。 それで無銭で参拝をさせて頂きました。
手水台 水道栓を各自ひねって水を出し手を清める方式でした。井水は流れおりません。
狛犬二基 口元や目元は朱で彩色されていて真新しい。
拝殿の右側に六宮神社合祀の額が掛かっている。
拝殿中 左側に八宮之祠 右側に六宮之祠 と額に記されている。
脇社の白髭稲荷神社
一の石鳥居
この神社は額束にあるように白髭稲荷大神を祀っている。
二の石鳥居 さらにその奥には朱稲荷鳥居がならんでいる。
拝殿 新しく建造された模様である。
稲荷社なので守り神のお狐さま二匹が鎮座している。
以前祀られていた白髭稲荷神社の社だと思われる。
八宮神社の参拝をおえ、大倉山公園を横切って次の五宮神社へと向かった。 今回はこれでおしまい。
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