ページビューの合計

2017年7月20日木曜日

神戸長田区 海泉寺

前回にひきつづき長田区駒ヶ林探訪の2回目である。今回は駒林神社の道路向かい側にある海泉寺である。

境内には鉄筋だが、赤銅屋根葺きの立派な造りの本堂が聳えている。大震災本堂が全壊し、ようやく昨年の1月に再建されたものだという。


寺碑 臨済宗 海泉禅寺 とある。

高麗門 これも実に立派な造りである。逆光で写りが悪く細部が見にくいが、許されよ。


境内から見た高麗門

山号額 龍雲山 とある。こちらの門は閉鎖されている。


庫裡につづく通用門



境内の角を曲がったところにある山門 こちらの門も閉鎖されている。福原西国三十三箇所 第3番札所 の石碑が立っている。


ここで、お寺の基礎情報をWikipediaからゲットする。
禅宗のお寺は宣伝活動には余り熱心ではなく、ネット上の情報は意外に少ない。図書館で文献を探すのも面倒なので、どうしても簡便なWiki頼りになる。Wikiとて不十分な記事も多いので、痛し痒しである。たまに有徳の士が、詳しい歴史などをウエッブ上にあげていて、そんな時は引用のしがいがあってウハウハなのですが、滅多にありませんね。

まあ私の記事などは趣味の範囲内なので、概略を知る程度に読んで頂ければ有難いです。と、言わずもがなのことを書いてしまった。悪い癖ですな。

海泉寺 (神戸市)


海泉寺
Kaisen-ji 1.jpg
所在地兵庫県神戸市長田区駒ケ林町3-10-1
北緯34度39分1.5秒
東経135度8分52.4秒
山号龍雲山
宗派臨済宗南禅寺派
本尊十一面観音
創建年正応2年(1289年)
開山法燈圓明国師
開基漸岸覚俊禅師
札所等福原西国三十三箇所 第3番札所


海泉寺(かいせんじ)

兵庫県神戸市長田区駒ケ林町にある臨済宗の仏教寺院。

歴史:

文永3年(1266年)東尻池の宝満寺寛心禅師の教化で真言宗から禅宗に改め大いに栄えて、駒ヶ林海泉寺は宝珠庵、慈眼庵、松月庵、松源庵とともに建てられ、宝満寺子坊となった。

長田区宝満寺は、やはり平清盛ゆかりのお寺です。清盛がそれまでに大切に懐中に入れていた帝釈天立像をこのお寺に奉納したと伝えられる。

宝満寺本堂
帝釈天立像



寺伝では、正応元年(1288年)漸岸覚俊禅師駒ヶ林で暴風雨にあい、大樹に身を寄せ一心に観音経を念誦すると大樹の頂に龍灯が輝き、その導きで無事宝満寺に帰ることができた。その奇端に感じ、正応2年(1289年)圓明国師開山に創建された。
  • 明治7年(1874年)火災にあい、現在地にあった慈眼庵に移って海泉寺とした。
  • 大正12年(1923年)本堂改築の時、駒林町にあった阿弥陀堂の木材を利用。阿弥陀堂の棟札に文化12年(1815年)建立とあり、この堂に祀られていた阿弥陀三尊仏が今の本尊である。
  • 昭和39年(1964年)山門を新築し、湯川秀樹博士銘による全人類の幸福を祈る梵鐘を新鋳。
  • 平成元年(1989年)、本堂修築、玄関、庫裏、高麗門を新築。
  • 平成7年(1995年)1月17日 - 阪神・淡路大震災で本堂・鐘楼が倒壊した。
    札所本尊十一面観世音菩薩は観音堂に安置。
  • 平成28年(2016年)1月17日 - 震災で全壊していた本堂が災害にも強い鉄筋コンクリート2階建てで再建される。

それでは境内の拝観です。

湯川秀樹博士 全人類の幸福を祈る鐘 石碑



全人類の幸福を祈る梵鐘 肝心の鐘がなぜか吊るされていない。梵鐘の周辺には大震災で崩れた石灯篭の部分が並べられている。

全人類の幸福を祈って 石碑 湯川秀樹の書が刻まれている。


湯川秀樹-その人-


観音堂  堂の屋根や門柱の彫り物は手が込んでいて見事である。十一面観音が奉られている。



この地駒ヶ林はかって源平古戦場であった。


本堂  


本堂山号額 龍雲山と金字みごとな達筆で記されている。霧海和上の筆なのであろう。
不動明王像


本堂脇の観音堂(らしい?)

阪神淡路 大震災慰霊之碑  旧本堂鬼瓦慰霊碑として使われている。


海泉寺側から眺めた駒林神社  境内からと違い、社殿の造りがはっきりと見て取れる。

1ブロックほど離れたところに海泉寺の墓地がある。


お墓の入り口でお守りをするお地蔵様

墓地

平和塔

海泉寺の所属神社である新黒稲荷神社については、神戸長田区 新黒稲荷神社  を参照ください。 これでおしまい。

0 件のコメント:

コメントを投稿