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2017年7月28日金曜日

神戸兵庫区 竹尾稲荷神社

前回に引き続き、兵庫区竹尾稲荷神社の紹介である。

民家や工場のならぶ一角にある。七宮神社から海側に1ブロックほど歩いた所にある。前回の地図を参照して下さい。

竹尾稲荷神社  狭い境内本堂鳥居手水舎社碑狛狐などの神社必須アイテムがひしめいている。


社碑  村社 竹尾稲荷神社 と刻されている。明治6年に村社格とされる。




稲荷鳥居 三連の鳥居である。


鳥居神額  竹尾稲荷神社とある。


Wikipediaにはこの神社の記載はない。前回と同じく、神戸の空の下で兵庫神社庁の記事を参考にして記述する。

神戸・竹尾稲荷神社。 - 神戸の空の下で。~街角の歴史発見~
竹尾稲荷神社

由緒:

当社の創立年代は定かではないが、享和2年(1802)光格天皇の御代に、地元民が、京都伏見稲荷大社の分霊を勧請し、兵庫の津鳩ケ崎、汐入川の左岸、海を広く見渡せる先端に奉祀したのが始まりという。
内に建っている石灯籠に1813(文化10)年と1818(文政元)年の刻文が残されていることから、この時期の創建だといわれている。

以前は、鳥居の前には入江佐比江へと流れ込む水路があったが、明治時代になって埋め立てが行われるまでは竹尾稲荷神社の参道も今の東西に走るものではなく、南北に走るものだった。その頃には多くの赤鳥居も建っていたが、1944(昭和29)年6月に都市計画に従ってやや西に遷されて現在の地に落ち着いた。

昭和20年代から、地域の有志により構成された「竹尾会」という崇敬会があり、現在も神社の管理・運営に携わっており、平成7年(1995)の阪神淡路大震災で被災した社殿を修復して、東方に移築し、高田屋嘉兵衛の顕彰碑を設けるなど境内整備を完了している。



ご祭神: 宇迦御魂大神(うかのみたまおおかみ)

今回の画像はこれです。


手水舎




石灯籠

こちらは御神燈と刻されている。共に江戸時代のものである。


本殿前のお狐様二匹


本殿

本殿の屋根部分

本殿には、ご神鏡が祀られている。

石碑  天攘無窮(てんじょうむきゅう)と刻されている。 日本書紀にある語句で、天地の存在するかぎり永く繁栄しつづけるの意味。

明治45年3月神戸市入江小学校卒業生の記念として建立される。とは言いながら入江小学校は廃校になってしまった。


入江小学校の跡地には、現在二宮尊徳の像が立っている。


高田屋嘉兵衛顕彰碑
1953(昭和28)年に育友会と婦人会の手で建てられた。題字は当時の原口忠次郎神戸市長によるものです。


前回の鎮守稲荷神社でも高田屋嘉兵衛がでてきたが、ここで簡単な紹介を引用する。

 淡路島の津名郡都志村に生まれた高田屋嘉兵衛。1792(寛政4)年に24歳で兵庫に出てきた高田屋嘉兵衛は、西出町の樽廻船問屋・堺屋喜兵衛のもとでメキメキとその才能を発揮していきます。

 やがて廻船問屋として独立を果たした
高田屋嘉兵衛は、ここ兵庫・西出町に本店を構えて活躍。北海航路を開拓するなど大成功を収め、兵庫津の繁栄に大きな貢献を果たしました。また、測量中に松前藩に拿捕されたロシア海軍軍人・ゴローニンをめぐる「ゴローニン事件」では一身を賭して問題解決に奔走し、長年にわたる紛争を巧みに収めたその手腕は、日ロ両国から大きな尊敬の念をもって賞賛されました。

 その
高田屋嘉兵衛の功績を讃える意味を込めて建てられたのがこの記念碑で、もともとは旧入江小学校の校庭に建てられていたのですが、学校の統廃合の影響を受けて境内に移設されました。 引用元: 神戸・竹尾稲荷神社。 - 神戸の空の下で。~街角の歴史発見~  


由緒舎 塀代わりの巨大看板である。文化文政期の周辺図などもある。




お隣の民家の壁隠しにもなっている。

これでおしまい。

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