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2017年8月14日月曜日

神戸兵庫区 三石神社

ひきつづき兵庫区の神社紹介で、今回は三石神社。この神社は有力神社である和田神社のお隣にある。神戸兵庫区 和田神社

JR兵庫駅
からの支線である和田岬線の終点であるJR和田岬駅のすぐ脇にある。

地図


この神社は小さいけれど、由緒ある神社である。Wikipediaにも簡単であるが記載がある。また詳しい神社情報は、三石神社ホームページ より引用した。

この神社も神戸に沢山ある神功皇后ゆかりの神社である。

三石神社 (神戸市)


三石神社
Mitsuishi-jinja (Kobe)2.jpg
所在地兵庫県神戸市兵庫区和田宮通3丁目2-51
位置北緯34度39分27.8秒
東経135度10分29.7秒
主祭神神功皇后、天照皇大神、素盞嗚大神。
社格等村社



三石神社(みついしじんじゃ)

兵庫県神戸市兵庫区和田宮通3丁目2-51にある神社。祭神は神功皇后天照皇大神素盞嗚大神


由緒:

三石神社の鎮座地である和田岬は、神功(じんぐう)皇后摂政元年(200年)、凱旋の帰途上陸され、三つの石を立てて神占いをした結果、廣田・生田・長田・住吉の神々を其の地に祀らしめた儀式の地である。

後、推古天皇(602年)がこの地に来られ、ミゾギをされたので、祓殿塚(はらいどののつか)といい、玉座とされた石を三石という。(『摂津名所図会』)

天平年間(730年頃)僧行基が務古の水門なる和田泊を興した時、神功皇后の神霊が現れ、往来の船を守らんとすと誨えたため、祓殿の旧跡に祠を立て大輸田泊の鎮護とし、神号を往来神・雪気神(ゆきけのかみ)とした。(『西摂大観』)

文禄2年(1593年)、雪気神三石大神と改称。

なお、神社は元々は現在地より東南約300メートルのところにあったが、享保7年(1722年)に移転、さらに明治39年(1906年)に移転し現在地となった。

御祭神の表示板: 天照皇大神神功皇后、素戔嗚尊


主祭神神功皇后


ご祭神 天照皇大神 と 素戔嗚尊




それでは境内参拝を行う。


拝殿



狛犬二基


石鳥居


神功皇后上陸地の石碑
由来に記したごとく、神功皇后三韓遠征の後上陸の地なのである。


手水舎


神功皇后像と幼き応神天皇を抱きた武内宿禰像  立派なブロンズ像です。


その由緒板

境内社三好稲荷神社

三石の遺跡



その解説:

神功皇后は、卜占をする際に3つの石を立てて廣田神社生田神社長田神社住吉神社の神々を祀ったといわれています。また、602年には推古天皇がこの地を訪れてを行ったという話も伝えられている。そのためここは祓殿塚と呼ばれ、玉座とした石三石と呼んだともいわれている。さらには、三韓遠征に向かう際に産気づいた神功皇后が、月延石鎮懐石といわれる3つの石を腰に巻いて出産を遅らせ、帰国後無事に出産を果たしたという伝説なども残されており、こういったエピソードが神社の名の由来となったようです。

お百度石の後に、なにやら船のプロペラがある。

由緒で述べたように、三石神社では、神功皇后主祭神としている。

安産祈願の神社でもある。

神社の記事から:

神功皇后応神天皇をご懐妊の際、当地の三つの石を身に付けて安産を祈願したと伝えられています。
その故事により、 当社は三つの石が入った「祈石」を今も安産御守とし、 その小石の色が白二個であれば男子、黒二個であれば女子を出産すると占ったそうです。
大正14年11月皇太子妃殿下昭和2年8月に皇后陛下のご安産祈念お守り等を献上し、 平成13年6月、皇太子妃雅子殿下ご安産ご祈念の腹帯・お守り・三石安産祈石等を、宮内庁を通じてお届けしています。



これでおしまい。

(追記:2017年8月14日 記事:兵庫住吉神社、御崎厄除八幡宮、三石神社を分離改変)

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