さて間隔が開いてしまったが、住吉大社の2回目である。 1回目の高灯籠は見ごたえがありましたね。 全国の各業者から奉納された境内の燈籠は、約600基あるそうです。1社にある燈籠としてはすごい数です。
これらは海上守護の祈願をこめて寄進されたもので、広告塔としての意味合いが強かったといわれていて、優雅で大きな形をしたものが多い。また題字は名筆家に刻んでもらったと伝えられている。
国宝の本殿はさらに立派で見ごたえがあるのですが、その前に周辺にある建築物や石灯篭などを見ていきたい。
住吉大社吉祥殿
神池から反橋を望む。 手前には石橋が架かっている。
前回書いたように反橋は訪問時修復中でした。
永代常夜燈二基
参集所 社務所ですが玄関口の屋根が青銅葺きになっていて社殿並みです。
玄関口
御祈祷所 砂利が一面に敷かれている。
手水舎 この舎は石橋前にあり、もう一舎は反橋前にある。
手水鉢
誕生石
誕生石の周りには玉垣が巡られれている。
源頼朝の寵愛を受けた丹後局 (たんごのつぼね) がここで出産した場所と伝えられている。
その子が薩摩藩「島津氏」の始祖・島津忠久公となる。
誕生石に纏わる伝説:
丹後局は源頼朝の寵愛を受けて懐妊したが、北条政子により捕えられ殺害されるところを家臣の本田次郎親経(ほんだじろうちかつね)によって難を逃れ、摂津住吉に至った。このあたりで日が暮れ、雷雨に遭い前後不覚となったが、不思議なことに数多の狐火が灯り、局らを住吉の松原に導いてゆき、社頭に至った時には局が産気づいた。本田次郎が住吉明神に祈るなか局は傍らの大石を抱いて男児を出産した。これを知った源頼朝は本田次郎を賞し、若君に成長した男児は後に薩摩・大隅二か国をあてられた。これが島津氏初代・島津三郎忠久公である。
この故事により、住吉社頭の力石は島津氏発祥の地とされ「誕生石」の聖地に垣をめぐらせ、此の小石を安産の御守とする信仰が続いている。
祈祷殿
祈祷受付お守授与所の横に幸禄門がある。
幸禄門額
本殿への正門というべき幸壽門前には四角柱の石鳥居がある。
角鳥居 (かくとりい) とも呼ばれていて、このような四角柱の柱は古い様式で大変珍しいものであり、木造朱塗りの鳥居の原形となっている。
角鳥居 は石段の上に立っている。
陶器の社額 陶器製は珍しいですね。有栖川宮幟仁親王の筆による。
国宝指定碑 本殿四棟は国宝に指定されている。
天皇陛下 皇后陛下 ご参拝記念標
反橋前の手水舎
手水鉢 ご神使の兎がご神水を授けている。
枯れた大木であるご神木
反橋から角鳥居 を望む。
幸壽門
門額
幸福門
門額
幸福門横の常夜燈 天長と刻されている。天長とは天の永久であることの意味だが、和歌山日本酒に天長というのがあり、そこの造り酒屋からの寄進かもしれない。(これも確かではない。)
これから本殿の境内に入り四本宮の参拝である。
境内 幸禄門と幸福門
境内での本殿外観
現在ある本殿は全て1810年(文化7年)に造られた。第一本宮から第四本宮にいたる4棟の御本殿は「住吉造」と称し、神社建築史上最古の様式の一つといわれる。いずれも国宝建造物に指定されている。(昭和28年11月14日 指定)
第四本宮 底筒男命(そこつつのおのみこと)を祀る。
第四本宮正面
第三本宮 中筒男命(なかつつのおのみこと)を祀る。
第三本宮正面
第三本宮屋根部分
第二本宮正面
第二本宮屋根部分
第二本宮側面
第一本宮 神功皇后(じんぐうこうごう)を祀る。こちらの第一本宮は他の本宮より一段規模が大きい。
第一本宮正面
御簾のかかげられている座敷が左右とも倍の広さになっている。
左座敷
右座敷
第一本宮左右にある朱門 名称は不明。
こちらの門からは末社の楠珺社に通じる。
神楽殿
本殿の境内には末社の楯社と鉾社の二社がある。楯と鉾とでペアになっている。
楯社
社額 楯の御社 とある。
鉾社 | |
社額 矛の御社 と記されている。
住吉神兎 住吉大社の神使は兎である。
糸魚川産の翡翠で造られている。
本殿境内の御神木
保存樹のかいづかいぶきで高さ10.5mである。
初代の神主とその姫神をまつり、縁結び・夫婦円満などの信仰を集めています。
絵馬掛けには、さまざまな願いが書かれた絵馬で埋め尽くされています。
ご祭神: 田裳見宿禰 (たもみのすくね) 相殿:市姫命 (いちひめのみこと)
神楽殿横に展示されていた神輿三基
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