住吉武道館
武道館の左横手も境内への参道になっていて大石鳥居が聳えている。かっての東大鳥居である。この写真は大鳥居の裏側にあたる。
石鳥居の奥(境内側)には参道に沿ってやはり大小数多くの石灯籠が並んでいる。
その一つである 永代常夜燈。 柱には 播州高砂 とある。 大阪から遠く離れた高砂からも常夜燈の寄進があった。毎度石灯籠を見るたびに思いますが、住吉大社は神社としては豊臣家の後ろ盾があり絶大の権勢を誇っていたことの証ですね。
これは火袋の部分が木製だったので面白がって写しました。後に石製のものに取り換えるのかもしれません。
昔、この付近に廃寺となった慈恩寺という津守家(住吉大社の神主)の菩提所があった。
その庭の老櫻は 車返しの櫻 と呼ばれ住吉の名勝であった。
老桜は現在失われているが、大阪市の未来樹としてこの場所に 京都嵯峨野の紅八重枝垂桜を移植した。、「後醍醐天皇 車返しの櫻」と呼ばれている。
石大鳥居正面 角鳥居ではありませんでした。
石大鳥居再建の記 石碑 元は慶応年間に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として建立した東大鳥居であったが、解体撤去され現在の地に住吉名所保存会によって再建された。
この石大鳥居を抜けると少し離れた所に浅沢社がある。社殿は玉垣で囲まれた堀の中にある。ご祭神が市杵島姫命である場合によくあるパターンである。水に関する神様なので、それに因んだ造りになる。中百舌鳥八幡宮でもそうでしたね。そんなことが分かるようになっただけでも神社通いの甲斐はあったというものだ。 堺市 百舌鳥八幡宮
この堀は元は浅沢池と呼ばれるかきつばたの群生する池であったそうです。
堀の中の社殿横にある高く聳える常夜燈。これが浅沢社のメルクマークである。
石鳥居 から 社殿 を望む。
外からみた境内の様子。
まづ神社の基礎データを与える。住吉大社の境外末社になる。
ご祭神: 市杵島姫神(イチキシマヒメカミ)
宗像三女神の一柱で、水の神ですね。 今回はこのお人形です。
由緒、創建は不明。古くから清水の湧く大きな池として「浅沢池」があり、その側にあった神社として「浅沢神社」となったと伝えられている。古来 カキツバタが美しく咲く名勝であったとされている。
堀の中にある石灯籠 どうやって灯りをともすんだろうね。
浅沢池には杜若(かきつばた)が美しく咲き乱れ、万葉の歌人たちに歌われたと伝えられている。一旦は枯れたが新たに植え直して復活されたとされる。
浅沢の杜若
住吉の浅沢小野の杜若
衣に摺りつけ着む日知らずとも 万葉集
五月にはこのように紫色の花をつける。
拝殿前狛犬二基
手水舎
社殿前にあるお休み所?
拝殿中 天井に幾つもの奉納提灯が吊るされている。
社殿の神額
堀の中に立てられている社碑 境外末社 浅澤神社 とある。
大歳社
稲の収穫の守護神である。大阪商人の間では、特に集金の守護神として信仰されてきました。また家の安全、幸福の守護神でもある。
ご祭神:
大歳神 (おおとしのかみ)
由緒:
創建の由来は不詳。大歳社の伝説によれば、昔 天照大神によって大歳神が住吉に派遣された際、大歳神が住吉の流水の景色に見惚れてしまい、結果的に当地に鎮座することになったと云われている。
なお、大歳神は豊穣や収穫の神として古くから崇敬を集めており、集金満足・契約履行・金銀取引守護の信仰があることから、江戸時代の文献にもつぎのように紹介されている。
なお、大歳神は豊穣や収穫の神として古くから崇敬を集めており、集金満足・契約履行・金銀取引守護の信仰があることから、江戸時代の文献にもつぎのように紹介されている。
「此神に立願すれば、商人職人節季毎に売懸滞なく請取損銀なしといひ伝へ信心の輩少からず」(神仏霊験記図会)
やはり商売の神様のお一人ですね。
石鳥居
石灯籠 柱には 大歳社 とある。
境内 右側奥においとばし社がある。
手水舎
拝殿
社額 金字で 大歳神社 とある。
拝殿前狛犬二基 小振りの狛犬で赤い前掛けを掛けて貰って温かそうです。
拝殿中 この屋根にも沢山の奉納提灯が吊るされている。
さらに拝殿内に狛犬二基が鎮座している。こちらは金糸縫いの前掛けを掛けて貰いご機嫌さんである。
もう一基は太鼓に隠れて見えませんね。
神鏡
境内にはおいとばし社がある。この社を大歳社の境内社と言えるのかどうかはわからない。
神額
この社の由緒は不肖。ご祭神も分っていない。
おいとぼしは「お愛し星」とも「老年星」とも言われており、その由来はさっぱり分かっていない。龍神とも金龍とも呼ばれ、隕石を神格化したという説もある。
住吉大社のパンフにも記されていたが、この社に置かれているおもかる石というのが有名になっている。
この台に乗せられている丸石である。
おもかる石
立て看板によるとこのように記されている。
先ず 二礼二拍手一礼を行う。
次に 霊石を持ち上げ 重さを覚える。
次に 霊石に手を当て祈る。
次に 再び持ち上げた重さの感じが
軽い=かなう
重い=好転へ努力
というご神託になる。 やってみたが、当然のごとく重いでした。やっぱり努力せんとあかんのだね。
そして二礼二拍手一礼をして退出しました。
おいとばし社の手水舎 いささか安普請です。
おいとばし社の朱鳥居
鳥居に掲げられている社額
社殿
社殿の足元にもおもかる石が置かれている。
謡曲の「高砂」にある様に高砂と住吉は何か強い結び付き(幽契)が有ったのかもしれません。
返信削除同様に高砂(内陸部(~日本海側)への重要ルート加古川の河口。東岸は加古川の尾上の松で有名な尾上神社(住吉明神))から
船出した帆船は(神武天皇もビックリしたと言う)大阪湾を右回りで還流する速い潮流
(淡路島の民話では「太郎の潮」と言った。これによって対岸の泉州地域とは恰も一つの文化圏を形成していた(例えば、対岸に親族、親戚がいっぱい)。)
に乗って
旦日の下に住之江、難波津に易々と到着できしました。
江戸時代に高砂の一商家、尾上家の高砂屋(現在、資料館ほかで保存)で考案された「高砂染め」が全国的に大ブレークして姫路藩の主要産品、収入源として大いに奨励されました。
大消費地の大阪との交通は繁華だったのでしょう。
いわゆる弁財天、弁天さま。市杵島媛命/狭依媛/狭手依媛命さまは、日本の古代史上において非常に重要な立場のお方。
お生まれは、一般的に云われる通りに宗形家の初代、カタアタス命(出雲の西王家、神門臣家の当主で所謂、国引き神話の英雄、出雲第6代オオナモチの八束水臣津野命の御子)の三女(生存年間は紀元前3世紀末~2世紀頃か)
渡来人(天津神。天皇家の祖先。天御中主/イサナギ/スサノオ/天照皇太神/ホアカリ/ニギハヤヒ/ニニギほか全て同一人物)と
出雲神族(国津神)を結び、天皇家の母系の大御祖(出雲神族)。
、、、神話のイザナミ(二人目(イサナギが国生みをリベンジした際の后神)?)。
コノハナサクヤ媛(ニニギ(ニギハヤヒ/ホアカリ)が見初めた媛)。
豊玉媛(玉依媛(意味はサヨリと同じ//ホホデミ(物部/天皇家の祖)を生んだ事を火中出産と表現))。
天照大神(荒魂//セオリツ媛(サヨリと音韻が同じ))
住吉大社の神主/社家で有った津守氏(海部/尾張氏の末流。これ重要。神社の祭神は神主家の先祖が古代からの不文律)が
市杵島媛命を祀る謂われは市杵島媛と渡来人某氏(天皇家の始祖)の間に産まれた媛、、、ホヤ媛が
異母実兄の五十猛/天カゴヤマと異母兄妹結婚。海部/尾張氏(ホアカリ/ニギハヤヒの渡来人某氏が始祖)の母系の祖先だからでは?
アサ、、、天神。サワ、、、国神?
森岩光様
返信削除高砂と住吉の関連など思ってもみませんでした。
その他にも様々なご教示多謝。神の呼び名の音韻については私は全くお手上げです。読者に理解できる方がおられる事を望んでいます。