かって魚崎は魚崎村と横屋村に別れていた。魚崎村は酒造と漁業が盛んであったが、一方横屋村は農業が主であった。それぞれの村の氏神を祀る神社として魚崎八幡神社と横屋八幡神社があった。明治になるとこの2つの村は合併して魚崎村となり、のち町制の移行により魚崎町となる。現在は魚崎北町、魚崎南町と再び別れてそれぞれの村(町)の氏神さまに戻っている。
神社は住宅街の中にあって地図を頼りでは見つけるのに結構骨がおれる。地元の人に聞くのがどうやら一番早い。それでこの川井公園前でお見受けした年配の女性に尋ねると向かいの通りにあるとすぐに教えて下さった。有難いことである。
川井公園
脇参道から眺めた境内
脇参道前 朱鳥居
神額 黒地に金文字で 横屋八幡神社 とある。横屋というのは神主を表わす言葉とされている。
鳥居後方の常夜燈 火袋は新しいものと替えられているが心持ち傾いている。
通常の順序に従って表参道の方に戻りそちらからの参拝を始めることにする。
表参道入口
社碑
表参道 石畳が拝殿までつづく。
平成20年(2008年)に新しく立てられたという石鳥居
神額 こちらは単に 八幡神社 と記されている。
ここで神社の基礎情報を兵庫県神社庁および神戸の空の下で。~街角の歴史発見~より取得する。
ご祭神:
天照皇大神 (あまてらすおおみかみ)
今回は武装するアマテラスのお姿(左)
配祀神八幡大神 (はちまんおおかみ)
春日大神 (かすがおおかみ)
いつもの三柱画像のイラスト版。左が春日大神で右が八幡大神。
由緒:
当社の創建は不詳であるが、天正19年(1591)の『摂津一国高御改帳』に「横屋村」が初見され、元禄5年(1692)の寺社奉行に提出した『寺社改帳』の控に「八幡大神宮・天照大神宮・春日大明神…古来ヨリ当村之鎮守…村中廻り持仕候」と記され、天明8年(1788)の『巡見留書』にも祭を当番制にて奉仕している旨が記されている。
随分昔から横屋村はあったようです。
神社近くの、阪神淡路大震災による被害建物復旧工事現場より遺跡が発見され、甕棺も出土した。この地には古くから集落が形成されていたのである。
神社も天正年間(1573~1591)以前に横屋村の氏神としてすでに鎮座していたであろう。
当時の建築は何も残っていないが相当に古い時代からこの地に神社があったのです。
それでは境内の参拝である。
手水舎 小ぶりの手水鉢であるがその上にある水差しは最新式でオートマチックになっている。
蛇口の下に手をかざすと自動的に水がでる。無駄な水を使わないようにという経済的概念からそうなった。この種の様式はちょくちょくある。
拝殿横にゴロンと置かれている倒壊した鳥居の柱
拝殿 木造青銅葺き拝殿で阪神淡路大震災で全倒壊を免れた社殿のようです。
拝殿前に積まれている酒樽は地元の銘酒・櫻正宗のものである。
櫻正宗は灘五郷の一つで魚崎郷を本拠とし享保2年(1717年)に創業する。六代目当主の山邑太左衛門は宮水の発見者とされる。樽は少なくとも20年以上前から同じように積まれている。
狛犬二基 こちらは新しく造られたもの。
拝殿前の鈴 神額が見当たりません。
雪見灯籠 神社で見受けるのは珍しい。
本殿屋根
名前の定かではない末社の二連合社殿
境内社の稲荷神社
火袋の枠が鋼鉄の常夜燈 この部分だけが古そう。
稲荷社社殿 守り神のお狐様が二匹おわせまする。
足元にある小燈籠
地車子庫
本住吉神社に宮入する横屋のだんじりが 収納されている。
横屋のだんじり
これでおしまい。
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