現状報告をする。しばらくブログをお休みすることになるかもしれない。時間を見つけてナポリ旅行記と神戸の神社シリーズは書きつづけたいと思っているがどうなるか今の所はわからない。医師の判断にまかせることになる。
昨日母の入居している施設に見舞いに行った。個室でいつものように洗濯ものの整理やリップクリームを塗ってあげること、目薬をさすこと、そして食事を食べさせながら母の話を聞いた。施設での母の生活報告のようなものです。週に1度しか来れない私や妹にために母は話のタネをずっと考えているようだ。
母の居るブロックには10名くらいの入居者がいて多くの方は歩行困難で認知症を患っている。そのなかには(感情を抑制しがたく)トラブルを起こしがちな方もたまにはいる。トラブルといっても大したことはなく意味なく声をだしたりテーブルを叩いたりして隣の人を圧迫する程度で看護師はすぐ適切に対応してくれる、母は前々日にその被害にあったらしくその顛末を一生懸命に説明してくれる。「私が何をしたの!」という母の言葉で看護師が気が付いて隣の車椅子を離してくれ事なきを得たらしい。嫌で堪らなかったのは母の気性から実によくわかる。
母のお喋りでは看護師のキャラなんかも話してくれる。世話をして貰っている感謝の気持ちを込めて話をしているのでそれは気持ちが良い。手品をして楽しませてくれる方や1口サイズで食べれるように小さなおにぎりを上手に(または下手に)握ってくれる方、母の下の処理の辛さを分かってくれて優しい言葉をかけてくれる人の話などしてくれる。わたしは相槌をうってスプーンでお昼を食べさせながら小1時間ほどそんな話を聞く。そして買い物があるだろうからと母は帰りを促してくれる。私の状況を分かっていてくれている。
母の話の本質は暗い。生きているのが辛くて早く死にたいが胃腸が丈夫でまだ食べられるので死ねない。ここでは食べない訳にはいかない。ホスピスに入りたいが入れてくれない。というような話が中心になりその時は結構明るい顔で話し聞いているが、帰り道思い出すといつも悲しい。生きていくのは本質的には辛いとしみじみ思う。
前回足の筋を違えて歩くと右足が痛だるくて仕方がないと書いたが事態はかなり深刻である。見舞い後はフィットネスに行く予定で、バスで新在家駅まで戻り20分ほど歩く。そうするとやはり右足の鈍痛が起り歩くのがとても辛い。筋違いではない。恐れていたことが事実になりそうだ。自宅に帰るのも時間がかかるので予定通りフィットネスに行き器具を用いる水中運動を行った。水中エアロビはしなかったが足の痛みやだるさは無かったので1時間と少し運動をしてその後お風呂に入ってフィットネスを4時ごろに出た。今度はバス停まで歩くと再び足が痛くてたまらない。恵みの郷で野菜を買ってリックに詰めて、バスに乗り阪急六甲まで来て朝食用のパンを買う。足の痛みがあるのでタクシーで自宅に帰る。
夕食後楽になったが気分が落ち込んでしかたがない。ワイフに愚痴をいうが返事は勿論なく愚痴をいう自分に嫌悪を覚えて余計に落ち込む。
素人判断だが右足が血行障害を起こしているのだ。恐らく動脈硬化が原因だろう。糖尿病になって長いが薬である程度は管理しているはずだが防げなかったようだ。
一昨日69歳になったばかりだというのにこの有様である。
母が入院し、ワイフが大病をしてこの3年間私としては自分のことは後回しで家族のことを全てに優先して頑張って来た積りである。極端に悪い生活態度をつづけてきた憶えはない。たまに食べすぎる程度である。なんでこんなことになるのかね。腰は相変わらず痛いし(加齢による脊管狭窄症と疑っている)、いつまでこの様なしんどい生活をつづけないといけないのかね~。悲観して物事が考えられなくなっている。これも脳の血行障害かもしれぬ。
明日は病院にいって診察して貰おう。別の軽い(願望)疾患かもしれぬ。どんな結果になるにしろ受け入れざるを得ない。すぐに生死に関係するという訳ではなかろう。でもとても辛い。
これでおしまい。
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