まづWikipediaからこのヌオヴォ城を含む世界遺産であるナポリ歴史地区の解説を引用する。
ナポリ歴史地区
ナポリ歴史地区
(イタリア)
ヌオヴォ城
英名 Historic Centre of Naples
仏名 Centre historique de Naples
登録区分 文化遺産
登録基準 (2), (4)
登録年 1995年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
使用方法・表示
ナポリ歴史地区(ナポリれきしちく)
イタリアのナポリのユネスコ、世界遺産の登録物件名。
歴史:
ナポリの起源は紀元前470年頃にギリシアの植民都市として建設されたことにさかのぼる。当時の町の名前は新しい都市という意味でネアポリス(Neapolis)と呼ばれ、碁盤の目のように整然とした都市計画のもとに整備されていたと考えられている。紀元前4世紀頃に古代ローマの支配下に入る。62年と79年に地震が起こり、深刻なダメージをナポリにあたえたが、復興をとげた。
11世紀にノルマン人のオートヴィル家が侵入してナポリを支配し、その後ホーエンシュタウフェン家の支配に入った。13世紀に入ってアンジュー家がこの地でナポリ王国を興し、ナポリは繁栄を迎える。16世紀前半にアンジュー家が衰えると、ナポリはスペインの支配下に入った。
18世紀以降はブルボン家による支配を受けたが、1860年にイタリア王国へ併合され、その後は他の都市と比べて近代化が遅れ、衰退した。
以上の歴史的なナポリの変遷があって1995年にユネスコ・世界遺産として登録された。
11世紀にノルマン人のオートヴィル家が侵入してナポリを支配し、その後ホーエンシュタウフェン家の支配に入った。13世紀に入ってアンジュー家がこの地でナポリ王国を興し、ナポリは繁栄を迎える。16世紀前半にアンジュー家が衰えると、ナポリはスペインの支配下に入った。
18世紀以降はブルボン家による支配を受けたが、1860年にイタリア王国へ併合され、その後は他の都市と比べて近代化が遅れ、衰退した。
以上の歴史的なナポリの変遷があって1995年にユネスコ・世界遺産として登録された。
主な建築物:
これから訪問する予定の遺跡群を記しておく。既にドゥオモ(大聖堂)は拝観済みであるが、サン・マルティーノ修道院やサンタ・キアラ修道院は時間の関係で見て廻ることができなかった。次回のナポリ旅行で報告したいと書きたいところだが財政的に無理ですね。
王宮
スペイン統治時代の17世紀初頭に、建築家ドメニコ・フォンターナの設計により建築された。以後、ブルボン家を始めとするナポリ王の宮殿(Palazzo Reale)として使用された。
卵城
卵城(it:Castel dell'Ovo)は、サンタルチア港の小島に突出して作られた要塞である。もともとはローマ帝国のルクルスが建築した豪華な別荘であった。
北側から見た卵城
11世紀にノルマン人のオートヴィル家がナポリを支配すると、要塞として機能を拡大する。ノルマン人がこの城を築くにあたって、基礎の中に卵を埋め込み、「卵が割れるとき、城はおろか、ナポリにまで危機が迫るだろう」と呪文をかけたことが城の名前の由来と言われている。アンジュー家統治時代には税を納めるための倉庫に使われた。
ヌオヴォ城
ヌオヴォ城(Castel Nuovo)は「新しい(Nuovo)城」を意味し、卵城と区別するために命名された。別名アンジュー砦とも呼ばれる。
13世紀にアンジュー家出身のナポリ王カルロ1世が、フランスのアンジェ城をモデルに建築したといわれている。アンジュー家支配末期に度重なる戦闘の舞台となり、大きく破損するが、15世紀から18世紀にかけて改築されて、現在に残る。正面に3つの円筒形の塔を持ち、2つの塔の間に凱旋門が建っている。
サンテルモ城
サンテルモ城(Castel Sant'Elmo)はナポリの町を見下ろすヴォメロの丘の上に建つ。アンジュー家により1275年頃、初期の城郭が建築され、その後、アンジュー家により拡張された。16世紀には、スペイン人がナポリを支配するところになり、星型の近代城郭へと改修された。
それではヌオヴォ城の見学を始めよう。城内の見学順序だかこのスマートツアーの掲示板にあるコースにそって見て廻ることにする。
ヌオヴォ城に関するもう少し詳しい記事が世界遺産オンラインガイドにあったのでそこから更に引用する。
フランス・アンジュ ー家のナポリ王カルロ1世の命でナポリ王宮の北東に建てられたのがヌオーヴォ城です。ナポリにはデッロー ヴォ城(卵城)やカプアーノ城がありましたが、 デッローヴォ城はナポリ湾内に位置し、敵の侵入に 、カプアーノ城は港から遠すぎたため、中間地点に新たな城が必要とされたのでした。
カルロ1世の孫ロベルト王時代、城にはボッカチオなど文学者や芸術家が多く訪れ、栄華を極めたものの、その痕跡はほとんどの残っていません。次の支配者スペインのアラゴン家が改修したからです。
アンジュー家とアラゴン家は南イタリアの覇権を争う宿敵同士でした。両家の争いに終止符が打たれたのは、 1442年、アラゴン家アルフォンソ5 世によるナポリ攻略でした。
ナポリ王アルフォンソ1世となった彼は、ナポリ到着後ただちにヌオーヴォ城の全面改築を行いました。防御用の円塔5基を備えた堅牢な城は、16世紀初頭までナポリの重要な防衛拠点となったのでした。
城の地下にあるカタコンベ? 骸骨が何体もある。昔戦いで死亡した兵士の亡骸をここに埋葬したのだろうか。(注:後で調べ直してわかったが、これはポンペイ遺跡で出土したものをこの城に移設したもの。)
お城の地下構造が透明アクリル板を通して見られるようになっている。現代的ですね。
お城通路に展示されていた作品 現代彫刻で何故こんなのがある? と思いましたがこの城は市立美術館でもあるのでおかしくはないと後で思い至りました。
何せ私の好きなタイプの彫像なのですかさず写しました。
城構内
2階階段への入り口 屋根にデカい青銅製の兜が置かれている。巨人族の兵士用である(笑)。
2階からはベヴェレロ港の様子やベスビオ火山を望むことができる。
ナポリ湾が港の前方に広がっている。
2階部分からは市立美術館になっていて壁面にはこのように金塗りの宗教画がびっしりと飾られている。このホールは武器庫であったそうです。
写実的な彫像 何かに耐えながらも(世の荒波にか?)前に進もうとする男性像
トロイの戦いなどが描かれたブロンズ製の扉
扉が破られる様をリアルに表現している。でなく本当に壊されたのが残っている貴重な遺物です。
展示作品を見ていこう。資料がないので作品の正しい説明はできない。コメントは適当に感じたままを書くことにする。イーカゲンで申し訳ない。
ヌゥオヴォ城を砦として戦闘の準備に備える兵士たちを描く絵画。
聖母マリアと幼子イエス
聖母マリア
こんな風に広い部屋ごとのスペースに絵画や彫像が展示されている。
法王を描く絵画
お定まりの聖母マリア像
次はガラスケースに入った人物の彫像である。
婦人像 やさしさと強い意志を感じさせる表情です。勿論誰だかわかりません。王妃なのかな?
ヌオヴォ城を建設したナポリ王カルロ一世かもしれない。
法王像の様だがどなたか存じあげない。
再び宗教画 ストーリーに沿って何枚か連続的に描かれているようです。2枚のみで以下略。
天使像 凛々しい青年天使ですが背中のどこから羽が生えているんだろうね。右方の羽は羽ばたいているみたいだし・・・。
ヘラクレスを描くレリーフ
この部屋で印象的であった石像を写真に収めた。
ナポリの有力者っぽいですね。
頭胸像の群
貴婦人像
今回はこれでおしまい。
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