体調も精神状態も悪いのに、お気楽ブログを書くのは気が進まない。と言っても、お勉強をするのは一層気がすすまないので、前回のつづきをぽちぽち書く。
ここが新山口駅。かっての山陽鉄道小郡駅です。山陽新幹線開通時は小郡駅でなかったっけ、と思って調べるとその通りでした。 2003年新幹線「のぞみ」停車開始時に駅名を改称している。
駅前に立つ 山頭火の像。
句には、
まったく雲がない笠をぬぎ 山頭火
山頭火の評伝は読んだことがあり、ある意味で私にとって、理想の生き方と思えた時期があった。今は思っていません。彼のような酷薄な人生には耐えられません。
しかし、彼の残した幾つもの句は心をうつ。
鐵鉢(てっぱつ)の中へも霰(あられ)
うしろすがたのしぐれてゆくか
どうしようもない私が歩いている
生死の中の雪ふりしきる
鴉啼いてわたしも一人
わけいってもわけいっても青い山
私が読んだのは、講談社新書の 「種田山頭火~漂泊の俳人」( 金子兜太:講談社)でした。
山頭火は、本名種田正一といい、1882年(明治15)に山口県吉敷郡防府町(現在の防府市)に生まれた。山頭火が生まれた頃の種田家は、大種田と呼ばれるほどの大地主であった。しかし、少年時代に母が自殺。この事件が山頭火の心に影を落としていた。更に、実家の破綻、弟の自殺。結婚して、一子をもうけるも、まともに働くことも出来ず、心のなかにはただ喪失感しかなかった。出家するも、喪失感は埋められず、漂泊と酒の生活。俳句だけが自分の存在の証だった。
山頭火は多くの支援者の世話になりながら、放浪を繰り返し、最後は、庵を構えた松山で生涯を終える。最後まで、酒と放浪の生涯であった。
そういえば同じ破滅型の俳人尾崎放哉の伝記小説も読んだ。
吉村昭 『海も暮れきる』 講談社文庫 1985年
Wikipedia より。
東京帝国大学(現在の東京大学)法学部を卒業後、東洋生命保険に就職し、大阪支店次長を務めるなど、出世コースを進み、豪奢な生活を送っていたエリートでありながら、突然、それまでの生活を捨て、無所有を信条とする一燈園に住まい、俳句三昧の生活に入る。その後、寺男で糊口(ここう)をしのぎながら、最後は小豆島の庵寺で極貧の中、ただひたすら自然と一体となる安住の日を待ちながら、俳句を作る人生を送った。クセのある性格から周囲とのトラブルも多く、その気ままな暮らしぶりから「今一休」と称された。
この俳人もお寺の離れで、看取ってくれた人がいたとは言え、まあ野垂れ死にです。
かっては、こういう人生に憧れを持っていましたが、今は持ってません。
普通に病院で病気で死ぬのが一番いい。ホスピスなら一層いい。
彼も性格破綻者で周りに迷惑をかけつづけて死にました。
寂寥感の漂う秀句を沢山残している。
足のうら洗えば白くなる
肉がやせてくる太い骨である
いれものがない両手でうける
こんなよい月を一人で見て寝る
障子開けておく、海も暮れきる
脱線したので、元にもどす。駅前の山口市観光マップである。 おいでませ山口へ である。
これを見ると、見どころのある場所というのは点在している。移動には時間がかかり、観光には不便な県である。 今回の1泊2日旅行では下関周辺と秋吉台位しか行けそうもない。
トヨタレンタカー・リースでレンタカーをする。我々は運転手が2人なので、ドライブは楽勝である。
中国自動車道にはいる。 最初のSAがここ美東である。
顔出し看板があった。 中央のゆるキャラは ちょるる である。
こいつは、実は物議をかもす存在である。 山口県PR本部長の肩書きを持ち、ゆるキャラグランプリ2012で2位になった人気者であるが、それには大きな疑惑がある。東日本大震災の復興予算1400万円を流用して生み出されたキャラであり、復興予算でPR活動をしていたそうである。そのお蔭でグランプリ2位になったのである。県が組織票確保に動いたのである。許されん。復興とは全く関係ないではないか! Wiki の ちょるる 参照。
美東名物のちゃんぽんというのがありましたが、昼には早くて食べてません。
ハイウエー情報が大型モニターで表示されていた。渋滞情報もこれで分かる。便利になっているものです。
SAの売店。色んな土産物が売られている。
さて高速を出て秋吉台に向かう。カルスト台地の風景。 Wikiによる説明。
カルスト地形(独: Karst)とは、石灰岩などの水に溶解しやすい岩石で構成された大地が雨水、地表水、土壌水、地下水などによって侵食(主として溶食)されてできた地形(鍾乳洞などの地下地形を含む)である。
私は、地表の部分だけがカルスト台地と思っていました。秋芳洞もカルスト地形なんですね。
風邪ひいて、情けない顔の爺さんがいる。そいつは無視して、その奥の景観を見てください。横に見える道路が秋吉台カルストロード。
この秋吉台は国定公園になっている。 日本最大級のカルスト台地で、国の特別天然記念物にも指定されている。この雄大は景観を作っている石灰岩は、およそ3億5千年前にサンゴ礁として誕生し、雨水や土壌水の溶食によって形成された。 途方もない年月ですね。
その風景を見ていこう。
切手の図案にもなっている。懐かしい10円切手です。子供のころ、集めていました。
秋芳洞は、このようになっているが今回は観光しない。スルーする。 以前行ったことがあるからである。黄金柱、千畳敷とか百枚皿は、見た覚えがちゃんとある。私にしては珍らしく覚えている。 しかし、3億年前のタイムトンネルなんて知らんぞ。新しい施設でないか?
かくして、秋吉台サファリランドに到着したのである。
以下、 旅行記 III につづく。
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