前回の記事では、消し忘れがあった。更新版を見てください。早速消去したが、つまらんミスばかりである。情けない。ついこの間は、物干し台に頭をぶつけるなど、一層鈍くさくなっていて、ほんとうに嫌になる。やっぱり老化のせいかね。と、愚痴を書いてからつづきを始める。
風の舞台から下りて、高梁川沿いを走る。 目的地の備中松山城目ざして、くねくねと山道を車で登っていく。 すると10分ほどで、城の登り口であるふいご峠駐車場に着く。
備中松山城へは、ずっと前に現役のころワイフと一度行ったことがある。備中高梁城とよぶのだとばかり思っていた。正確には、備中松山城だが高梁城と呼んでも間違いではないらしい。紛らわしいことである。
デジカメなど持っていない頃だから、10年近く前のことだと思う。全ては忘却の彼方だが、石垣積みの山道がつづき、とても見どころのあるお城だったという記憶があり、末の息子に見てもらいたいとワイフが思ったのであろう。
この駐車場から、徒歩で遊歩道を松山城まで登っていく。僅か20分の距離であるが、登りは結構きつい。時間の関係で、私と息子が先に登り、ワイフはゆっくりと後追いになる。
この駐車場に、備中松山城の案内パネルが掲示してあった。 絵図でみると、よくまあこんな高い所に城を構えたものだと感心する。古く、城とは戦うための砦であったから、むべなるかなであるが。
松山城登城の山道は、中国自然歩道の一部でもある。 JRの伯備線に沿って、こんな所まで自然歩道がつづいているのだ。 知らんかった。
ここで、Wikipedia による備中松山城のお勉強である。 いつものお城データ。
松山城 (岡山県) | |
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松山城本丸(平成の復元後)
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別名 | 高梁城 |
城郭構造 | 連郭式山城 |
天守構造 | 複合式望楼型2重2階(1681年改) |
築城主 | 秋葉重信 |
築城年 | 1240年 |
主な改修者 | 三村元親、水谷勝宗 |
主な城主 | 三村氏、水谷氏、板倉氏 |
廃城年 | 1874年(明治7年) |
遺構 | 現存天守・櫓・塀、石垣、土塁 |
指定文化財 | 国の重要文化財(天守、二重櫓、土塀) 国の史跡 |
再建造物 | 櫓・門・塀 |
位置 |
北緯34度48分32.68秒東経133度37分20.29秒
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松山城(まつやまじょう)
岡山県高梁市内山下にあった山城である。別名、高梁城(たかはしじょう)。
国の史跡。日本100名城。四国の愛媛県松山市にあった松山城 (伊予国)との混同を避けるために、一般的には「備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)」と呼ぶ。
城跡が国の史跡、江戸時代に建造された天守や二重櫓などが国の重要文化財に指定されている。
標高430メートルの臥牛山山頂にあり、現存天守を持つ山城としては最も高い所にある。
日本国内の、現存する天守がある12城のうちの一つです。
ゆえに、このお城のキャッチコピーは、
「ようこそ!日本一高い山城 備中松山城へ」
でした。
天空の城 竹田城と同様に、
天空の山城
という宣伝文句もあるが、2番煎じっぽいね。 天空の城竹田城と出石城
天空の城塞
というのもある。こちらのほうが、断然良い。実際、このような解説がある。
この地は山陰と山陽を結び、東西の主要街道も交差する要地であるため、戦国時代は激しい争奪戦が絶えず、目まぐるしく城主交代が繰り返されています。
登城坂の周囲は、高さ10m以上の巨大で切り立った岩壁がそびえ、昔日のつわものたちが舌を巻いた”難攻不落の名城”の面影をうかがい知ることができます。
日本三大山城というのがあって、その1つである。 他には、
もう少し記事を引用する。
岡山県、高梁市街地の北方に臥牛山(がぎゅうさん、標高480m)が聳えています。北から、大松山、天神の丸、小松山、前山と4つの峰が連なっています。南から見た山容が、草の上に伏した老牛の姿に似ているとして、老牛伏草山、臥牛山などと云われている。その城郭域はこの4峰の頂きを中心に全域に及んでいます。
備中松山城の入場パンフと登城記念スタンプです。
備中松山城絵図の画像。
入城料は、大人300円、小中学生150円で、老人割引なし。
上空からの写真。
備中松山城の復古図がこの看板にあった。
これから、約20分間の登城日誌。
登城心得でありますぞ。
よくぞまいられた 城主
このさき足もと 悪しきにつき 気をつけて歩むべし 城主
確かに、足を滑らせばえらいことになる。
このような石畳みの山道である。
10分ほど歩いて、はあ~しんどいと思ったときの登城心得。
あわてず ゆっくり歩むべし 城主
はい、了解。 さらに登城心得。
この辺りがちょうど 中間地点である しばし休まれよ 城主
お言葉に従い、暫しの休息。 そして尚も登っていく。
眼下の景色。
下城の際の登城心得。登城でないので、なんだか変だね。
本日の登城 大儀であった 城主
この備中松山城の見どころは、何と言っても石垣でしょう。
急峻な崖における石垣の組みあげ方が面白い。
崩れそうで、危険な気がしますね。何ヶ所か崩れているところがあり、崖崩れ感知システムが京都大学と提携して本格的に設置されているとの事である。その案内板です。
ここは、足軽箱番所。
三の丸の石垣。
国指定遺跡であることの説明板。建造物 天守、二重櫓、土塀 となっている。
さらに石畳の道登ってゆく。
かなり高い所まで登ってきた。眼下には、高梁川。
黒門跡
登り道からの景色。
このような石碑がありました。与謝野晶子の旦那である、与謝野寛(よさのひろし)が詠んだ歌の石碑です。 私には、達筆すぎて読めなかった。でも、検索をかけて調べてみるとすぐに分る。
松山の渓を埋むる あさ霧に わが立つ城の 四方しろくなる
という和歌でした。
パンフと同じアングルでお城を写真を撮ってみた。奥が天守。
こちらは、近づきすぎた。
このような石段を上がって左側が、入城券売り場。
本丸から天守を望む。
本丸東御門
本丸跡
天守閣への入り口
天守の中に入る。この日の観光客は我々以外は約4名。
天守の中には、色んな展示物がある。古い色んな時代に用いられた鯱。
これは何だか忘れた。飾り戸だったけ?
かって、この場所には甲冑や宝剣が展示されていたのでしょう。現在は写真のみ。
昭和15年に昭和の大修理がなされた。その時の記事。
かっては、このような状態であった。殆ど廃城ですね。
お城の内部の写真をアップする。天守内部に係員はいないので、写真撮り放題。ではあるが、見どころってのは余りない。
しかし、昔の建築様式がそのまま残っています。
天守の窓から本丸を望む。
天守の見学を大急ぎで終えた。 鷲羽山見学がまだ残っているのである。下城後に写した写真もアップしておく。
天守(奥)と二重櫓。これも国指定の遺跡。
厩曲(うまやぐるわ)からの眺め。
国指定遺跡である土塀。
太鼓丸跡の石垣。
最後に与謝野寛の歌を実写化したような動画をどうぞ。天守の内部も写ってます。
”つわものどもが 夢の跡”
在りし日のもののふの鼓動を感じて
これで、 岡山日帰り旅行 III はおしまい。 IV 鷲羽山 につづく。
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