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2015年6月29日月曜日

鳥取、倉吉、由良旅行 III

翌26日は、朝から雨であった。天気予報通りである。最初のスケジュールでは、この日に鳥取東照宮わらべ館を見学する予定であった。わらべ館は、前日に見学し終わったので、午前中に鳥取東照宮やまびこ館を見学することにした。

午後からは市内至るところで見受けるコナンに影響され、コナン駅である由良まで足をのばし、青山剛昌ふるさと館に行くことに決めた。勿論ワイフの同意の下である。

それで、今回はその午前中の記事。

旅館の送迎バスに鳥取駅まで送ってもらう。9時前に鳥取駅の南口に着く。
ここには、大黒様と因幡の白兎の像がある。さすが因幡の国、鳥取県である。

若き大黒様オオナムチは若くてハンサムでキムタク似である。古事記でも兄たちに妬まれる位の美貌の主であったと書かれている(嘘)。とにかく兄たちにいびられていたのである。因幡の美姫ヤカミヒメの妻問い道中で、兄たちに騙されて赤裸になっている白兎を親切に助けてやるのである。その有名なシーンですね。




ヤカミヒメは、ハンサムなオオナムチが夫でなければ嫌と言って、兄たちを冷たく袖にする。怒った兄たち八十神の迫害をうけて、オオナムチは地の底、根の堅州国に逃げ込む。

ヤガミヒメ御子の像(御井社)


この国はスサノオの支配する国であり、その娘のスセリビメと運命的な出会いをする。たちまち両神は恋に落ち、事に及ぶのであった。

スセリビメ



それを知ったスサノオのイビリにより、オオナムチは散々苦労するのだが、スセリビメの助けにより難を逃れる。そしてヒメを連れて根の堅州国を逃げ出すのである。根負けしたスサノオの許しを得て、地上に戻ったオオナムチ八十神を残らず打ち殺し、大国主となって地上に君臨するのである。

スセリビメは正妻になるがとても嫉妬深い。大国主は、権力増大と共に艶福家となり、妻の眼を逃れ、ヤガミヒメ始め幾多の美妃と浮名を流し、子づくりに励むのである。富と名声を得、その結果、このような風貌になるのであった。


かっての美男子が台無しである。まるで、○○さんのようでないか。 古事記の解説本を見ながらの解説でした。

これは、カリオンモニュメントである。鳥取県鳥である「おしどり」が二羽つながってアーチをつくっている




20世紀梨の木が植えられている。多くの木が老木化して、生産量は減っていると聞いたことがある。これは、その若木。

このくる梨赤コースバスに乗り込む。


12,3分で樗谿公園やまびこ館前に到着。




樗谿公園の案内板

この公園内に、樗谿神社こと鳥取東照宮市歴史博物であるやまびこ館がある。


雨の中笠をさしながらの見学であった。

梅鯉庵の門  ここには、入れなかったので無意味な写真である。



やまびこ館 見るようにモダンな建物である。


 
 鳥取東照宮の鳥居


ここで、Wikipediaによる解説を引用。
   
鳥取東照宮
100724 Ouchidani-jinja Tottori Japan08s5.jpg
所在地鳥取県鳥取市上町87
位置北緯35度30分4.18秒
東経134度14分45.91秒
座標: 北緯35度30分4.18秒 東経134度14分45.91秒
主祭神東照大権現
社格県社
創建慶安3年(1650年)

本殿(重要文化財)
 
鳥取東照宮(とっとりとうしょうぐう)
 
鳥取県鳥取市にある神社。江戸時代の創建より因幡東照宮(いなばとうしょうぐう)と称され、明治7年(1874年)から平成23年(2011年)までは樗谿神社(おうちだにじんじゃ)と称されていた。 祭神は、主神として東照大権現を祀り、配神として池田忠継・忠雄・光仲・慶徳を合祀する。本殿・拝殿・幣殿・唐門の4棟の建造物は、国の重要文化財に指定されている。
 
徳川家康が祭神ですね。全国の東照宮(家康を祀る宮)が幾つあるかご存じか?
 
私は日光東照宮くらいしか知らなかったが、これだけあるのだ。約50社。
 
神 社
鎮座地( )内は連絡先
電話番号
FAX番号
北海道東照宮北海道函館市陣川82-153
0138-32-2221
0138-32-3331
弘前東照宮青森県弘前市笹森町38
0172-33-8240
0172-33-8447
仙台東照宮宮城県仙台市青葉区東東照宮1-6-1
022-234-3247
022-272-9852
出羽三山神社山形県東田川郡羽黒町手向7
0235-62-2355
0235-62-2352
水戸東照宮茨城県水戸市宮町2-5-13
029-221-3784
029-231-5707
花園神社茨城県北茨城市華川町花園567
0293-43-9212
 
日光東照宮栃木県日光市山内2301
0288-54-0560
0288-54-0061
前橋東照宮群馬県前橋市大手町3-13-19
027-231-2031
027-231-2034
赤城神社群馬県勢多郡富士見村(前橋市田口町149-1)
027-287-8202
027-287-8177
世良田東照宮群馬県太田市世良田町3119-1
0276-52-2045
0276-52-2586
徳川東照宮群馬県太田市世良田町3119-1(世良田東照宮)
 
 
仙波東照宮埼玉県川越市小仙波町1-21-1(南通町19-3)
049-222-1396
049-224-4236
古尾谷八幡神社埼玉県川越市古尾谷本1408(古谷上2071)
049-235-1682
 
忍東照宮埼玉県行田市忍本丸12-5
048-556-2096
048-556-2096
三峯神社埼玉県秩父郡大滝村三峰298-1
0494-55-0241
0494-55-0328
秩父神社埼玉県秩父市番場町1-1
0494-22-0262
0494-24-5596
大宮住吉神社埼玉県坂戸市塚越241
049-283-8672
 
八日市場東照宮千葉県八日市場市イ2435
0479-72-1099
 
上野東照宮東京都台東区上野公園
03-3822-3455
 
浅草神社東京都台東区浅草公園2-3-1
03-3844-1575
 
芝大神宮東京都港区芝大門1-12-7
03-3431-4802
03-3431-0793
芝東照宮東京都港区芝公園4-8-10
03-3431-9658
 
大国魂神社東京都府中市宮町3-1-1
042-362-2130
042-335-2621
久能山東照宮静岡県静岡市根古屋390
054-237-2438
054-237-9456
静岡浅間神社静岡県静岡市宮ヶ崎町102-1
054-245-1820
054-248-0360
長窪東照宮静岡県駿東郡長泉町元長窪717-2(下長窪739)
055-986-2106
 
城岡神社静岡県沼津市大手町3-5-16
055-962-1540
 
田中神社静岡県藤枝市花倉332
054-638-0252
 
五社神社
諏訪神社
静岡県浜松市利町302-5
053-452-3001
053-452-7333
鳳来山東照宮愛知県新城市門谷字鳳来寺4
0536-35-1176
0536-35-1176
龍城神社愛知県岡崎市康生町561
0564-21-5517
0564-26-0450
滝山東照宮愛知県岡崎市滝町山篭(西中町2-1)
0564-21-7209
 
松平東照宮愛知県豊田市松平町赤原
0565-58-1621
 
名古屋東照宮愛知県名古屋市中区丸の内2-3-37
052-231-4010
052-231-4010
伊賀八幡宮愛知県岡崎市伊賀町東郷中86
0564-26-2789
0564-21-4605
飛騨東照宮岐阜県高山市西之一色町3-1004
0577-32-1883
 
伊賀東照宮三重県伊賀市老川1103-2
0595-55-2512
0595-55-2918
豊崎宮大阪府大阪市北区豊崎6-6-4
06-371-5264
06-371-5264
佐佳枝廼社福井県福井市大手町3-12-3
0776-27-2754
0776-24-2359
日吉東照宮滋賀県大津市坂本5-1-1
077-578-0009
077-578-0134
紀州東照宮和歌山県和歌山市和歌浦西2-1-20
073-444-0808
073-447-2488
樗谿神社鳥取県鳥取市上町(行徳ろ-705聖神社)
0857-22-6398
 
松江神社島根県松江市殿町(春日町386)
0852-23-3849
 
広島東照宮広島県広島市東区二葉の里2-1-18
082-261-2954
082-261-4686
屋島神社香川県高松市屋島中町140
087-841-9475
 
掛川神社高知県高知市薊野町1375
088-845-0005
 
霊丘神社長崎県島原市弁天町
0957-62-3446
 
諏訪神社長崎県長崎市上西山町18-15
095-824-0445
095-821-9377
 
びっくリである。
 
この鳥取東照宮は、鳥取藩初代藩主池田光仲によって造営された。
光仲は僅か3歳で藩主となり、慶安元年12月(1649年)に藩主となって16年目にして初のお国入りを果たした。この際、藩主としての威厳を示すため、幕府に願い出て鳥取城下への東照宮勧進を許可された。 

オブリゲーションで造営された宮である。

ご神木の杉

武家屋敷門を移築した神門


なぜこんな所に、と訝かわれる おおちだに どうぶつひろば。 ラクダがいました。


随神門   東照宮の額が新しくつけられている。


本殿・拝殿・幣殿・唐門の4棟の建造物が、国の重要文化財に指定されているのだが、その説明板。雨に打たれてこんな有様。


本殿に至る石段
 
本殿
 

拝殿および幣殿

拝殿前の石灯篭

本殿から随神門を望む。


ヘイケボタルが生息する大宮池からの小川。


大宮池


大宮池横 庵が見える。

その横手に中国自然歩道が通っている。


この道を下ると、やまびこ館に戻ってくるのである。

Japanese Map symbol (Museum) w.svg 鳥取市歴史博物館
TOTTORI CITY HISTORICAL MUSEUM
Tottori City Historical Museum02n4592.jpg
施設情報
正式名称鳥取市歴史博物館
愛称やまびこ館
専門分野歴史・風土・文化
館長木谷清人
事業主体鳥取市
管理運営公益財団法人鳥取市文化財団
開館2000年
所在地680-0015鳥取県鳥取市上町88
位置北緯35度29分56.32秒 東経134度14分38.39秒
/ 北緯35.4989778度 東経134.2439972度 / 35.4989778; 134.2439972
ウェブサイトhttp://www.tbz.or.jp/yamabikokan/

館内、エントランスホールより


鳥取市歴史博物館(とっとりしれきしはくぶつかん)

鳥取県鳥取市に所在する博物館。愛称はやまびこ館
公益財団法人鳥取市文化財団が運営する。

入館料は、このようになっている。この日は、特別展はやっていない。

◆ 常設展示観覧料

区分個人団体(20人以上)
小中学生無料
高校生
一般300円240円

パンフ
 
裏面には館内の構造と展示物が説明されている。

地下が常設展で、鳥取の歴史風土文化に関する展示を行っている。館内撮影禁止なので、画像はアップできないが、



城下町のプロフィール
城下町のプロフィール
 


歴史スタジアム
歴史スタジアム


本願寺梵鐘(重要文化財)

鳥取城シアター 
 鳥取城シアター

などが展示されている。なかなか面白い。特に江戸末期の鳥取の景観復元立体模型や、鳥取城を巡る吉川経家羽柴秀吉の攻防の映像は面白かった。

雨が小降りになるまで、この博物館で一休みであった。
 
やまびこ館の内部の実写。

やまびこ館の見学をおわり、樗谿公園の雨中散策。それなりの風情がある。


公園内にやかた船の実物がある。


船内に先客ありで、中には入れなかった。

奥にみえるのが、梅鯉庵




その庭。公園の一部となっており、見ごたえなし。



 
公園の入り口にあった、昭和初期の建て増し風の民家。
 

この建物は、グランドアパート


『鳥取県の近代化遺産』 1998 によると、

昭和5(1930)年築の旧住宅。 左側が昭和5年で、屋根が一段下がった右半分が昭和21(1946)年のもの。 この建物は終戦後に進駐軍が接収し、1階をダンスホール、2階を将校の宿舎として改装し、その際にテラスのある右半分が増築された。 接収解除後はダンスホールはそのままに2階をホテルとして営業したが、その後アパートに改造する。 

その標蹟。

 
これで見学がおわり、くる梨赤コースバスで鳥取駅に戻る予定だったが、
途中荒木又右エ門遺品館のある寺町で下車したのである。
 
その時にお参りいたお寺の写真をアップしよう。
 
景福寺
 
鳥取藩池田家の重臣-荒尾家代々の菩提寺である。
­池田家鳥取移藩 (1632年) とともに岡山から移籍した寺院。
 
 山門

本堂

地蔵堂 天蓋は、後に造られたもの。

永代供養塔
 
本堂の額
 
 
社務所
 

このお寺には、戦国時代の武将である、槍の使い手の後藤又兵衛の墓がある。
このような動画(写真集)を発見したのだが、こちらを見られたい。

景福寺 トットリ街歩き

 善久寺
 

 


善久寺 トットリ街歩き

長栄寺



学成寺


このような御祈祷の動画があった。お坊様が立ちながら経を読んでいます。

学成寺 御祈祷

そして、荒木又右衛門の墓がある玄忠寺



著名人のお墓 より:

曾我兄弟』『忠臣蔵』とならんで、日本の三大仇討ちの一つに数えられ、
講談や小説で有名な『伊賀の水日、三十六人斬り』の主役が荒木又右衛門である。
又右衛門は伊賀の国出身で、大和郡山藩の服部という武家の養子となる。
彼の妻の弟に備前岡山藩渡辺数馬という武士がいた。
数馬の弟、源太夫が同僚の河合又五郎に殺されたため、数馬は弟の仇討ちに行くが、
そこに又右衛門が助太刀をして、伊賀上野城下の鍵屋辻でみごとその目的を果たした。
これが寛永十一年(一六三四)十一月の『伊賀の水日、三十六人斬り』である。
が、この三十六人斬りというのは誇張で、後世のつくり話。
実際は、河合方の総勢は二十人で、死んだのは四人である。
又右衛門が倒したのは、又五郎の叔父の河合甚左衛門と槍使いの桜井半兵衛の二人。
又右衛門は半兵衛の家来には木刀で腰をしたたかに打たれているが、これが真剣ならば命はなかったわけである。
墓は、破れかぶれの巨大な自然石。又右衛門にふさわしい墓だ。

          玄忠寺(鳥取市新品冶町)に眠る・荒木又右衛門



Wikipediaにも記載されているお寺である。
   
玄忠寺
Genchuji Tottori02n4592.jpg
本堂
所在地鳥取県鳥取市新品治町176
山号大唐大巖深心山
宗派浄土宗
創建年永正5年(1508年)
正式名大唐大巖深心山 九品院 玄忠寺

荒木又右衛門遺品館

庫裏の羅漢襖絵

庫裏庭園
 
 
玄忠寺(げんちゅうじ)
 
鳥取県鳥取市にある浄土宗の仏教寺院。正式名は、大唐大巖深心山九品院玄忠寺。鍵屋の辻の決闘で広く知られる剣豪荒木又右衛門の菩提寺で、境内にはその所縁の品や資料を展示する荒木又右衛門遺品館が設けられている。
 
永正5年(1508年)、鳥取城下湯所の高浜地にて開創と伝わる。
万治3年(1660年)に現在地に移転した。
寛政12年(1800年)に伽藍を消失するも、文化2年(1805年)に現在に伝わる本堂、山門、鐘楼が再建された。
 
ここには、荒木又右衛門遺品館があるのだが、閉館していた。最後の動画を見てください。

 

本堂

荒木又右衛門のお墓


玄忠寺の境内にある お地蔵様。

 
地蔵堂
 


 
 同じく境内にあった翡翠の原石。
 
宝石を求め来た大国主命と採取を支配した八上家の姫(ヤカミヒメ)が結ばれた。

とある。前述の古事記の話を参照して下さい。またこの動画をどうぞ。

玄忠寺-荒木又右衛門遺品館 トットリ街歩き

かくして、玄忠寺のお参りをおえて鳥取駅へと向かったのであった。
今回は無意味に長すぎた。 IV につづく。

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