ナイル川クルーズは終了し、クルーズ船はアスワンに到着する。バゲージに荷物を押し込んで移動の用意を済ませる。 出発は朝早く6時である。それで朝食を5時に取ることになる。
朝食はプレーンオムレツと菓子パン、それと少しのサラダにする。ゆで卵も取ってきている。いささか卵が多すぎるね。
以上をお箸を使って食した。勿論コーヒー付きです。
食事を済ませてアマルコ II 号を下船し、バスに乗り込む。アブシンベルまでの距離は280キロで約3時間半かかる。
アスワンからアブシンベルまでの地図
今回はその途中のバスから眺めた車窓風景の報告である。それとアスワンダムのお勉強。
朝6時、まだ日の開けやらぬアスワンの船着き場。
バスに乗りこむ。車窓から噴水が見える。
5分位走ったところにナイル川に架かる橋が見える。
すぐに砂漠地帯に入る。
道路沿いに送電線が走っている。
砂漠地帯を走る。
約40分走ったところに最初の検問所がある。
検問所 ばれたらカメラを没収されるかもしれないと思ったが、検察官はスマホをいじっていたので隠し撮りをする。
見張り台
ここで旧アスワンダム(に近づこうとする輩)を監視しているようだ。
Wikipedia の説明:
旧アスワンダム
古いアスワンダムは、アスワン・ロウ・ダムとも呼ばれる。ナイル川の氾濫を防ぐためイギリス主導のもとで建設された。1901年に完成し、以降数度にわたって拡張された。
6時40分になり夜明である。
趣味の朝焼け写真二葉。
日は上り、バスは砂漠の道路をひた走る。
8時40分 カーブに差し掛かる。
車窓から見た砂漠の風景 大したものが見える訳ではないが、変化があり飽きずに見ていられる。
所々に砂山がみえる。
ピラミッドみたいだが単に風化して岩の段差ができているだけでしょう。
9時15分に2番目の検問所に来る。ここからはアブ・シンベルの町は近い。
監視台 その奥は管理棟になっていて救急車が待機している。ここでは、アスワンハイダムの警備を行っている。
ここでアスワンハイダムのWikiによる解説。
アスワン・ハイ・ダム | |
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上空からみたアスワン・ハイ・ダム
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エジプトにおけるアスワン・ハイ・ダムの位置
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正式名称 | Aswan High Dam |
所在地 | エジプト・アスワン |
座標 | 北緯23度58分14秒 東経32度52分40秒 / 北緯23.97056度 東経32.87778度座標: 北緯23度58分14秒 東経32度52分40秒 / 北緯23.97056度 東経32.87778度 |
着工 | 1960 |
竣工 | 1970 |
ダム | |
ダム型式 | 堤防 |
河川 | ナイル川 |
堤高 | 111 m (364 ft) |
堤頂長 | 3,830 m (12,570 ft) |
底部最高幅 | 980 m (3,220 ft) |
排水能力 | 11,000 m3/s (390,000 cu ft/s) |
貯水池 | |
ダム湖 | ナセル湖 |
総貯水容量 | 132 km3 (107,000,000 acre·ft) |
湛水面積 | 5,250 km2 (2,030 sq mi) |
最大幅 | 35 km (22 mi) |
貯水池標高 | 183 m (600 ft) |
発電所 | |
運転開始 | 1967–1971 |
タービン数 | 12× 175 MW (235,000 hp) フランシス水車 |
定格出力 | 2,100 MW (2,800,000 hp) |
正味年間発電量 | 10,042 GWh (2004) |
アスワン・ハイ・ダム (Aswan High Dam)
エジプトの南部、アスワン地区のナイル川に作られたダム。アスワンダムは2つあるが、現在ではアスワンダムと言うとアスワン・ハイ・ダムを指すことが多い。
アスワン・ハイ・ダムは、アスワン・ロウ・ダムの6.4km上流に建設され、1970年に完成した。
高さ111m、全長3,600mの巨大ロックフィルダムである。
注:
ロックフィルダムはダムの型式の一つで、岩石や土砂を積み上げて建設する型式のダムである。
良く知られているようにアスワン・ハイ・ダムは、当時のナセル大統領がソ連の支援を受けて国家的事業として建設した。
Google Earth の衛星写真
Wikiよりの解説つづき:
建設目的は、ナイル川の氾濫防止と灌漑用水の確保であるが、ロウ・ダムだけでは力不足であったために、当時のエジプトのナセル大統領がアスワン・ハイ・ダムを国家的事業として計画を立てた。
ガマール・アブドゥル=ナーセル
アスワン・ハイ・ダムの巨大な貯水池ナセル湖の名はナセル大統領の功績をたたえてつけられた。アスワン・ハイ・ダムの完成によって、毎年のように起こっていたナイル川の氾濫を防止するとともに、12基の水力発電装置が210万キロワットの電力を供給。
ダムにより出現したナセル湖から供給される水は不足がちの農業用水を安定させ、砂漠の緑化も行われた。その一方で、ナイル川の生態バランスを破壊したなどの批判もあるが、ナセル湖の漁業はとても活発となり、豊富な水産物は重要な食料として活用されている。
と、悪いことはあまり書いていないが深刻な環境破壊が起こっている。 アスワンダムの損得勘定は?
ナイル川を塞き止めたこの巨大なダムは、下流に流れていた大量の養分と土砂を塞き止めてしままった。このため、下流農業は洪水を回避できたかわりに、養分供給も絶たれ、化学肥料投入を余儀なくされた。更に洪水の度ごとに押し流されていた塩分の蓄積に悩まされることになる。その原因により下流農地は荒廃している。
また、地中海に流れ込む砂と海流が浸食する砂の量がバランスすることで安定していた汀線が、流入土砂がなくなることで、海流による浸食が優越することすることすることとなり、深刻な汀線後退が生じ、海岸部では村や農地が海に呑まれる状況を招いている。
建設に至った経緯については、Wikipediaに要領のよい解説がある。
特記したいのは、つぎの記事である。
1960年1月9日に起工式がおこなわれ建設が始まるが、資金技術面以外にも二つの大きな問題があった。水没地域の約9万人といわれる住民の移住と、同じく水没地域にあった、古代エジプトの遺跡群の保護の問題である。
住民は主にルクソールからコム・オンボの間に開かれた30の新開地へと移住させることで解決した。
ヌビア遺跡のアブ・シンベル神殿をはじめとする遺跡群は、当初そのまま水没させてしまう計画だったが、国際社会からの反対の声が強くユネスコの援助で巨額の費用をかけて湖畔に移築された。移築されたのはアブ・シンベル神殿だけではなく、フィラエ島のイシス神殿や、カラブシャ神殿、アマダ神殿、ワディ・セブアなど10個ほどの遺跡が水面上へと移設している。
高校生の時に知ったアブ・シンベル神殿の移築問題は、アスワンダムの建設により生じたのである。遺跡保存のための偉大な事業でした。UARの切手にありましたね。所持しています。そういえばUAR(アラブ共和国連邦=エジプト+シリア+リビア)はわずか3年の命でした。
無事(当たり前だが)検問所を通過して、再び砂漠の道路をヒタ走る。
アスワン・ハイ・ダムからの送電線はいつまでもつづいている。
ようやく緑が見えてきた。 アブ・シンベルの町に入ってきたのである。
民家
バスの窓から写した道路沿いの街並み写真
モスクらしい建物も見える。
町の中心部に来たようだ。車の行き来が多くなる。
予定通り9時半にアブシンベル神殿の駐車場に到着。
目前にナセル湖が広がっている。
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