アブ・シンベル神殿への道しるべ
石畳の道を歩いていく。目の前に見える小高い山を右側から廻り込んだところに神殿がある。
山の麓にはナセル湾が広がっている。
その山の背面
これは人工の山で切り出された石を積み上げて造られている。
この山を廻りこんだところにアブ・シンベル大神殿がある。
大神殿正面の巨大な4体のラムセス2世座像が現れる。高さ20mでその姿には圧倒される。9時50分ころだったが、相当数の観光客が既に訪づれていた。
大神殿前広場にあるレリーフ
大神殿の前にはナセル湖が広がっている。
大神殿から100m位離れた所に小神殿がある。こちらはラムセス2世の王妃であるネフフェルトアリのための神殿(写真右側)である。
大神殿は、山を切り崩しコンクリートのドームを造りその内部に移築されている。
アブ・シンベル神殿は言うまでもなく有数の世界遺産である。というより世界遺産創設のきっかけになった遺跡である。
Wikipediaとガイドブックを参照して神殿の解説を行う。
| |||
---|---|---|---|
アブ・シンベル神殿 (大小両神殿)
小神殿 (前方) 及び 大神殿 (後方) | |||
英名 | Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae | ||
仏名 | Monuments de Nubie d'Abou Simbel à Philae | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (1),(3),(6) | ||
登録年 | 1979年 | ||
公式サイト | 世界遺産センター(英語) | ||
使用方法・表示 |
アブ・シンベル神殿(Abu Simbel)
エジプト南部、スーダンとの国境近くにあるヌビア遺跡。
建造主は新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世。約3300年前に建造された。大神殿は太陽神ラーを、小神殿はハトホル女神を祭神としている(小神殿は最愛の王妃ネフェルトアリのために建造されたものでもある)。
建設後、長い年月の内に砂に埋もれていたが、1813年にスイスの東洋学者ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトによって小壁の一部が発見され、1817年にブルクハルトの知人であったイタリア人探検家ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルツォーニによって出入り口が発掘された。
ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルト | |
---|---|
生誕 | 1784年11月24日 ヴォー州ローザンヌ |
死没 | 1817年10月17日 エジプトカイロ | (32歳)
国籍 | スイス |
職業 |
旅行家、東洋学者
|
2mを超す巨漢で、もともとは怪力自慢で人間ピラミッドという芸を持ちサーカスなどで活躍した大道芸人であり、機械工学の専門家でもあった。神殿を発掘したが、お宝は発見できず不満であったという。
前回記したように、ユネスコの援助によりこの神殿は湖の底に沈まずに済んだのである。
1960年代、ナイル川にアスワン・ハイ・ダムの建設計画により、水没の危機にあったが、ユネスコによって、国際的な救済活動が行われた。
1964年から1968年の間に、正確に分割されて、約60m上方、ナイル川から210m離れた丘へ、コンクリート製のドームを基盤とする形で移築された。
現在ではアスワン・ハイ・ダムの建設によってできた人造湖のナセル湖のほとりにたたずんでいる。
今回は大神殿の方の写真紹介をする。 紀元前1290年から1230年ころに建設される。
アブ・シンベル大神殿
大神殿の四体の像はラムセス2世で、その前に並んでいるのは家族の像である。
奥にはプタハ神、アメン・ラー神、ラー・ホルアクティ神、そしてラムセス2世の像がある。
像の脚にはヌビア遠征に赴いたギリシャ人傭兵による古代ギリシャ語の落書きが彫られている。
壁には神聖化された聖なる船の前で儀式を行う場面が描かれている。
浮き彫りに王の業績、北の壁にはカディシュの戦い、南の壁にはシリア・リビア・ヌビアとの戦いが描かれている。
大神殿移転の解説図 このように60mも上方に移築された。
大神殿の平面図と立面図
大神殿正面
青年期から壮年期までの4体のラムセス2世像が置かれている。顔つきからすると、左側から順次年を経ているという事だろう。20代から50代とされる。左から2体目の胴体部が壊れているのではっきりしないが、全ての像の顔の表情は異なっているようだ。神殿の左右対称の原則に反するような気がするが・・・。
大神殿上部にあるマントヒヒのレリーフ
左側
中央上部にあるラー・ホルス神の像 その両横にもレリーフがなされている。
それでは年齢順にラムセス2世像を見ていく。
20代
足元にある小さな像は、右足側がネフェルタリ王妃、足の間の像はその子供の像、左足側もネフェルタリ王妃(その子供かもしれぬ)。
30代
半身が壊れていて表情はわからない。足元の岩塊がその頭部及び胴体部と思われる。発見された時からこの状態であった。
足元にある小さい立像は同じ構成。
頭部と胴体の残骸 耳の部分ははっきりと残っている。
40代
50代
足元の台には王のカルトゥーシュが刻まれていて、その前にホルス神とラムセス2世の小立像が交互に並んでいる。
ラムセス2世王の座像の足元のネフェルタリ像
両足の間の子供像
大神殿入り口右側にあるネフェルタリ像
左側のラムセス2世の足の裏側にあるネフェルタリ像 この小像でさえ、実際はこのように見上げるばかりの高さを持つ。
入り口近くの壁に描かれたレリーフ 戦争捕虜の首が繋がれている様子を示している。 エジプト人捕虜である。
こちらがヌビア人捕虜
ルクソール神殿でも同種のレリーフがありましたね。 エジプト旅行記 X
ここから大列柱室にはいるのであるが、内部は撮影禁止。しかし、その手前までは写すことが出来た。
大列柱室の左右にあるラムセス2世のオシリス柱
右側の四柱
左側の四柱
これから先は写真画像を利用できないが、アブ・シンベルの写真帳を10ドル(高い!)で購入したのでその画像で説明をつづける。
写真帳の表紙 上段がライトアップされたアブ・シンベル神殿。中央がその航空写真。
大列柱室 このように割合狭い間隔で柱が並んでいる。 右側は大神殿の平面図。
壁画 カデシュの戦いで戦車に乗るラムセス2世(上)と捕虜を処刑するラムセス2世(下)のレリーフ
プタハ神、アメン・ラー神、ラー・ホルアクティ神、そしてラムセス2世の像
この神殿では、年に2回神殿の至聖所まで日の光が届き、神殿の奥の4体の像のうち、冥界神であるプタハを除いた3体を明るく照らすようになっており、観光客の目玉となっている。本来はラムセス2世の生まれた日(2月22日)と、王に即位した日(10月22日)この現象が起こるものであったが、移設によって日にちがずれてしまったという。
側室の壁画
大神殿(移築前)の立面図(上)とミン神を描く壁画。
パピルスを持つラムセス2世とネフェリタリ王妃(右)とラムセス2世のレリーフ
発掘された当時のアブ・シンベル大神殿を描いた絵画
調べて見るとイギリスの画家デビッド・ロバーツ(David Roberts)が1838~1839年にかけてエジプトの遺跡巡りをした時に描いたものでした。
彼の手による大列柱室の絵画
右は移築する前のラムセス2世像 左は移築工事のため解体された像の足の部分
大神殿を包み込むためのコンクリート製ドーム
移築中の神殿内部(上)と切り離されたラムセス2世像の頭部
作業現場(右)とラムセス2世像の頭部切り出し作業(左)
大変な移築工事だったのですね。
夜にはここで音と光のショーが行われる。見ることは叶わなかったが、動画でその様子を知ることはできる。この動画には、神殿内部の撮影やアス・ワンハイダムの録画もあり楽しめました。karaokehaitatu さんの作品です。
最後にもう一度大神殿のラムセス2世像を目に刻み付けておく。
0 件のコメント:
コメントを投稿