途中見つけた四連の石仏 表面が磨滅しており、何の神様か判読できない。中央の2体はお地蔵様だと思われる。それにしても土台は立派な黒御影石です。下段には菊の生花が飾られている。
お賽銭箱もあるが、私は喜捨しなかった。お堂とか祠には喜捨しないことに決めている。拝殿の賽銭箱のみにしている。そうでないとお金がいくらあっても足りない。と、こんな所でケチの言い訳をしている。
プリントアウトした地図を見ていても道に迷ってしまったが、これは私の方向感覚が悪かっただけである。
八幡神社参道の標柱 八幡太神社の「太」はない。
この先少し登ったところに参道がある。だがその実態は田圃の真ん中を走るアスファルト塗装の道路なのである。玉砂利か石畳位は敷いて欲しかったですね。
石鳥居 玉垣、常夜灯と共に真新しい。
額束にある石の神額には 八幡太神社 とある。
もともとは八幡大神社だったが、その昔誤って墨が落ちてしまい「大」の字が「太」になってしまったとの逸話が残っています。
という記述がある。いつの話かわからんしホンマかいなと思いますな。標柱には「太」はないしね。
社碑 二段も高く設えてある。
八幡太神社復興記念碑
これによると祭神は応神天皇で、創立年代は不肖だが古くから西小路住民の信仰は厚く、氏神としてこの地に奉祀していたという。ところが明治40年の神社統合令により阿比太神社境内に別棟合祀されることになった。境内社つまり居候の地位まで落とされてしまった。それで氏子一同が頑張って復帰運動をして昭和33年に元の地に復帰したとある。リストラで派遣社員に落とされたが、正社員に復帰したというところですか。
元からの八幡神を祀ってある鎮守社に戻れた訳です。とすれば神社名に「太」がついているのは、かっての所属神社の阿比太神社の「太」から由来すると考えるのはおかしいかな?
ご祭神の画像は省略する。
手水舎 立派な瓦屋根なのは良いが、壁や手水鉢の周りがブロックなのは興ざめである。プラスチックの雨樋がついているのもなんだかね~。
社殿 逆光で正面から写せずこんな見にくい写真になってしまった。許されよ。
賽銭箱がないとお思いかもしれぬがあるのだ。この写真では、紐に隠れて見えないが郵便受けみたいになっていて、その中に入れるようになっている。お賽銭はいつものように10円です。
御神燈
社殿前の狛犬二基
境内 社殿から鳥居を望む。松の枝ぶりが見事。
拝殿(右)と本殿と(左)と思われるが、左の社屋が本殿とは断言できない。社殿というよりむしろ民家のような造りである。
境内の整備は未だのようで、このように半ばの地表はむき出しの土であった。
特に見るべきものはなかったが、この神社では10月に天狗祭が斎行される。面白そうなお祭りである。
天狗祭
昭和23年(1948)八幡太神社が西小路に遷座された時に行われた天狗祭は、現在も10月に行われています。天狗が町内を竹を持って練り歩きます。天狗に頭をたたいてもらうと頭が良くなると言われています。
天狗祭では子供神輿もでる。
このように天狗が竹筒を持って子供の頭を叩いて周る。嫌がって逃げ回る子供もいる。
こんな怖ろしい般若の天狗もいる。獅子舞の獅子も竹筒を手にしている。きょうの沙都 さんより引用。一度見たいものだ。
これでおしまい。
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