玄関門 ここからは入場できない。なんとならば地面に貴重な遺跡があるからだ。
門の前には大理石の低い階段がありその前にモザイクによる文字(HAVEらしい?)が書かれている。それを踏み荒らしてもらうと困るという訳です。でも野ざらしだしこの場所だけ踏まないようにすればいいのに・・・と思う私であった。
表示板 Casa del Fauno
ファウノの家だが、ファウノは邸宅の持ち主の名前ではない。いかに大富豪とは言え発掘後に邸宅の持ち主の名前が特定できるのは稀であった。
名の由来はこの邸宅のアトリウムにある泉(雨受水盤)の青銅像がギリシア・ローマ神話の精霊の一種であるファウヌス(イタリア語ではファウノ)なので、その名で呼ばれた。
玄関先から邸宅の中庭を望む
玄関先のアトリウムの泉(水盤)にあるファウノ像 実物ではなくレプリカである。
相当に大きな邸宅で中庭は列柱に取り囲まれている。
小部屋の床のモザイク 中央部に鳥を描いたモザイク絵がある。
中庭風景 当時は花壇もあって色鮮やかな庭であったでしょう。
この邸宅が有名なのは、ここからアレクサンダー大王とダリウス3世の古代史上有名な、イッソスの戦いを描いたモザイク絵が発見されたからである。高校の世界史の教科書に掲載されていた有名なモザイクです。
ここでは人だかりが絶えなくて写真を撮るのも楽ではない。見物客の隙間から写したのがこの1枚。
横手からカメラを差し入れて写したのがこの写真。中央に馬に跨ったもみあげの長い凛々しい男性がアレクサンダー大王である。どうもはっきりしませんね。
さらに右手の戦車の上に乗っているヒゲの人物がダリウス3世です。
苦労して撮影したがこれも本物ではなくレプリカであった。本物は国立考古学博物館にある。これです。
博物館で実際に本物も見てきたのでそのうち写真紹介します。
この邸宅にはもう一つアトリウムがある。中央に雨受水盤がありその周辺の床は細かく白い陶片で覆われている。乳白色で輝くような床であったと思われる。
中庭風景 庭の奥手が家屋跡になる。
列柱に囲まれた奥の庭園
次は成金の邸宅の紹介である。ヴェッティの家と呼ばれる邸宅である。
所有者の名前はわかっていて大商人アウロ・ヴェッティオ・レスティトゥートとコンヴォーヴァの豪邸であった。兄弟らしいが詳しいことは不明。
戸口の大理石製の標識 DOMVS VETTIORVM
この石版が見つかったので家主の名前が解ったのではなかろうか。
この邸宅がなぜに(その筋に)有名かというと入口の柱にあるつぎの絵がその理由を明らかにしている。
巨大な男根と金貨の入った袋を天秤にかける生殖の神プリアボスが描かれている。
インパクトが大きいですね。巨大皮被りペニスと黄金が等価とは思いもかけぬ認識でした。
生殖の神 プリアボスの大理石像 こんなにでかくては生殖には使えないと断言できる。僻みで言っているのではない。
入口近くにあるアトリウムの泉(雨受水盤) シンプルな大理石製である。
実際のアトリウムは修復中で、木枠に掛けられたカバーがその復元予想になっている。現在立ち入ることはできない。
高い屋根のある大きな部屋がありその壁全面にフレスコ画が描かれている。ギリシャ神話などをテーマにした絵画らしい。
裸ではあるが並みのチ〇コの持ち主の男性を描いていて何だか安心する。
貴婦人と馬の石像(台車に着目)を売り込もうとする商人。お安くしますぜ。
モザイク風に描かれた若い男女 嬉しがって裸で遊びまわっていると風邪をひきますよ。
邸宅には広い中庭や保存状態のよい壁画の描かれた部屋などがあるらしいが現在は公開されていない。
わずか10分足らずの見学でヴェッティの家を退出する。見学場所がつぎつぎと控えているからである。
何とか邸のアトリウム跡 天井がなくなって水盤だけが残っている。床にも装飾が施されていたと思うが今は草ぼうぼうである。
悲劇詩人の家 Casa della Tragico
標識
一般的な邸宅跡だそうです。何が一般的かというと玄関口にアトリウムがありその先に中庭とそれを取り巻く部屋がありそれらの部屋の壁はフレスコ画で装飾されているといった風ですかね。何邸も見たので私のような素人でも分かるようになった。その細かい違いが分かるようになると面白いのだろうが、私にはそれが解らず似たような印象で終ってしまうのは致し方ない。
家の玄関先にある犬のモザイク画。貴重な遺跡らしくでガラスの扉でカバーされている。似たようなのがパキウス・プロキュラスの家の玄関先にありましたね。
ポンペイ遺跡 (3) でも記したけど手前の文字は「猛犬に注意」という意味です。実際にこの細い通路から猛犬がとびかかってきたら怖いだろうね。鎖に繋がれているからそんなことはないのだろうけど。
次はパン屋さんの遺跡です。
パン焼き窯と粉挽き石臼
別の少し大きめのパン屋さんの遺跡に入りました。全体の写真は撮り忘れたのでパン焼き窯と挽き臼の写真のみでご勘弁ください。
パン焼き窯 ピザ窯みたいにしてパンを焼く。中央の穴にパン生地をいれて下のかまどから薪で火入れをするようです。
臼型の粉引き器 中央の四角い穴に棒を通して回転させて小麦を粉にする。すると下に粉が溜ってきてそれを水で溶いて酵母菌をいれてパン生地を作る。そして焼けばパンが出来上がる。現在と違ってパン屋さんの小麦粉は自家製でした。
臼の頭部を上からみるとこのような穴が開いていて円形のくぼみに小麦を入れて挽いていた模様。
イラスト画で示すとポンペイのパン屋さんはこのようでした。
ワイフが俄かパン屋になってパンを焼いております。
水飲み場 ここでは蛇口部分には人間の顔でなく鳥が描かれている。後方にあるのは居酒屋さん。カウンター席が見えますね。
この様な底の見えない井戸でした。
水飲み場のある通路にいるハゲ隠しの帽子を手にする爺さん。ポンペイ遺跡までやって来たという証拠写真。
チルーゴの邸宅
またもや邸宅見学かと思うかもしれないがそうではない。邸内を鉄格子扉から覗き見するだけである。
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