エルコラーノ門
2つの門の中央から延びている通りが墓場通りである。
この門からの道路は、ポンペイから海岸沿いをナポリそしてローマに向かう街道で、ポンペイの町の表玄関のような門であった。
ブロック積みの壁
この門の名前 エルコラーノ は、古代にナポリに至る海岸沿いの街道の途中にあった小さな港町 ヘルクラネウム に向かう門と言うことから名づけられた。それでどんな関連があるかと思いますよね。実は ヘルクラネウム を現代イタリア語式に発音すると、Hはサイレントですよね、エルコラーノ となるのである。そのまんまの表現だが教えて貰わないと分かんない。さすれば ヘルクラネウム とは何かというと私でも連想がつくが ヘラクレス なのである。
港町 ヘルクラネウム は、ポンペイ同様にヴェスヴィオ火山の噴火によりで地中に埋まり、1709年に井戸を掘る工事により20mの地下から発見された。こちらの遺跡のほうがポンペイの遺跡発掘よりも古いのである。現在この遺跡はエルコラーノ遺跡と呼ばれている。ヘラクレス遺跡と名付けてくれれば憶えやすかったのにね。この遺跡は次回以降で紹介する。
イスタキディアの霊廟
墓地に建てられた霊廟の記念碑で三本の柱(2本は重なって写っている)復元されたものである。元は円形に柱が並ぶ建物であったそうです。
イスタキディ家は、後で紹介する大邸宅の秘儀荘で、ワインを生産するお金持ちの住人であったようです。
マンミアのスコラ
迂闊と言うか知らなかっただけであるがこの写真の右手に石のベンチを半円形に並べた台座らしきものがある。
これは紀元1世紀初期に建造されたもので、巫女マンミアの墓とされている。。 スコラというのは、半円形のベンチをもつポンペイ独特の記念碑を意味する。
崩れ落ちた円柱の残骸 コリント式の装飾がなされている。
墓場通りの石畳の道
石棺らしいけど詳細は不明。
これもスコラであるが何のために建造されたかはわからない。ドームの内部にはフレスコ画がいて祈りを捧げる場所であったのだろう。
モザイク列柱の別荘 列柱の奥が別荘になっていたようです。
立派なお墓が通りの左側に二基並んでいる。その奥にあるのがディオメデス荘である。
その1つ目のお墓 誰のお墓かは不明(調べてもわからなかったという意味)。
こちらの墓は刻印からネイヴォレイア・テュケーと、夫のC.ムナティウス・ファウストゥスの墓と考えられている。夫のほうは市民に小麦を施した(レリーフに刻まれている)などの業績があるそうです。良い事をすると2000年後も名前だけは残るのです。
ディオメデス荘の庭園跡
ディオメデス荘の庭園は、プール・墳水・つる棚などがあり、ポンペイ随一の広さを誇っていたとされる。そしてこの人物は奴隷から解放された自由民であったとされる。奴隷といっても戦争で負けて捕虜になって連れてこられたというだけで、能力がありさえすれば大金持ちになれたのである。定かではないが葡萄畑の経営で儲けたらしい。
この墓地に墓や邸宅を持つことが出来たのは金持ちというだけでなく都市に謙虚な貢献をなした人物に限る。ディオメデスさんも大枚の寄付をしたのでしょう。
栄耀栄華にあったディオメデス一家も火山の大噴火で邸宅は埋もれてしまい、一族郎党は死に絶えたのでした。2000年後その地下柱廊で彼らと思われる18人もの遺体が見つかったのでした。
栄耀栄華にあったディオメデス一家も火山の大噴火で邸宅は埋もれてしまい、一族郎党は死に絶えたのでした。2000年後その地下柱廊で彼らと思われる18人もの遺体が見つかったのでした。
通りの左下方に赤レンガの邸宅跡が見える。これは一部にすぎなくてその向かい側に邸宅の建物が並んでいる。
この邸宅は秘儀荘で海へと下る坂の途中にある。紀元前2世紀に建てられ、紀元前60年と紀元1世紀に改修されたとある。
この大邸宅には大小90の部屋のほか、ワイン製造所もあったとされる。宿泊所も兼ねていたと思われる。
秘儀荘の名前の由来は、ディオニソス信仰にまつわる一連の秘密の儀式を描いた素晴らしい壁画があることから名付けられた。古代貴族の別荘の中でも最も有名でかつ重要な館とされる。その秘儀の部屋を訪づれるのがポンペイ遺跡の1つのハイライトになっている。
列柱回廊 内側の屋根を支える列柱 コリント式の装飾がある。外側の列柱 こちらの列柱はモザイクの装飾がある。
壁にはこんな大穴が開いていて邸の中庭を覗き見できる。でも不正侵入はできない。
列柱回廊 ワンちゃんが二匹いる。前もオクタビウス・カルティオの家で犬を見かけたが別の犬らしい。その時も黒犬が寝そべっていたっけね。
アトリウム 泉(雨受水盤)は大きいが噴水などの設備は失われている。雑草が生え自然の緑ゴケが付着している。掃除をすればいいのにね。
部屋の内部のフレスコ画
アトリウム
邸で見つかった遺体の石膏像2体がガラスケースの中に置かれておる。これらは犠牲者たちの庭や保管庫などで見ましたね。
非常に不自然な姿で、もがき苦しみながら死んでいったのがわかります。
部屋の壁にエジプトのセト神(?)が描かれている。ローマ人はギリシャ文明だけでなくエジプト文明にも憧憬を持っていたのです。そういえばエジプト旅行記は(私にしては)珍らしく完了したので興味があれば見てください。36回も書いたのでした。この調子では今回のナポリ旅行記もその位は行きそうですね。
壁面に婦人像などが描かれている部屋
この部屋の隣がお目当てのディオニュソス秘儀の図の描かれている部屋であった。
4つの壁を一周する形で描かれている。背景のポンペイレッドが印象的な大壁画です。
ディオニュソスとは酒の神バッカスであり、秘儀とは女性の信者を中心とした集団陶酔の儀式とされる。というわけでこの壁画には女性を主体とする等身大の29人が登場する。
左側面の絵画
儀式はディオニュソスの神を讃え、酒を飲み踊り狂い獣を八つ裂きにしたりする秘密の儀式であったそうな。儀式がおわるとまた何もなかったかのように淑女に戻るのでした。女性のストレス発散法ですが恐いですね。こんな儀式をしなくとも恐いですが・・・。
奥の部分がはっきり見えないですね。画像を探すと結構苦労したのですが見つかりました。
正面部分 残念だが光が反射して中央部分がはっきりは見えなってしまっている。最も重要な部分なのにね。
中央に寝そべっているのがディオニュソスである。アリアドネとの結婚を表わしているそうだ。
さる場所から入手した画像
右側奥の壁面
黒い羽をもつ女性神が鞭をふるう。その鞭から慈悲深い女性の膝に逃れる女性。
これもはっきりしないのでどこか(孫引きである)から入手した画像を加える。
右側手前の壁面
結婚式の身づくろいを付き人が手伝い天使が手鏡をかかげている。
もう1面入り口裏の壁画があるのだけど当然撮影できないよね。探せばあるものでこれです。娘の婚礼準備を授ける母親らしい。
全体像
秘儀荘の家屋
中庭
これでポンペイ遺跡の見学は終了してお楽しみの昼食のレストランへと向かう。今回はこれでおしまい。
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