この神社は森北公園の隣にあって森のお稲荷さんとか森稲荷と呼ばれている。 神戸東灘区 中野八幡宮
森北公園
公園内の通路に沿って歩くと広い砂利道にでてそこが稲荷神社の境内になっている。丁度参道とは逆向きに参拝したことになる。鳥居はずっと下方にある。
境内 瓦葺き拝殿の白壁が見えている。
ここで当稲荷神社の基礎情報を兵庫県神社庁等のデータを基にして記述する。
ご祭神:
倉稲魂命 (うかのみたまのみこと)
何度も出てきた稲荷神ですね。今回はこのお神楽における稲荷神
配祀神:
以上ふりがな及び画像は省略する。
祭事:
祭事:
人々は神様の漂着を祝って卯月卯日に祭を行い、「卯の葉祭」と呼ばれていたが、昭和35年より5月3・4日に斎行し、氏子3地区がそれぞれ地車を出し、神社での祭典の後、氏子内を練り廻る。
昨年の東灘だんじり祭りの動画が見つかったのでご覧ください。
由緒:
伝承による由緒で真偽のほどは分からない。というか作り話であろう。
社伝によると、「元正天皇の霊亀元年(715)卯月卯日の夜、深江の沖に闇夜に照らす妙な光が現れた。 人々が不思議に思い、海岸に集まると波のまにまに一基の神輿が近づき、『われは稲荷の神霊、この山手の森かげに鎮まりたい』と告げられたので、神托どおりにお祀りすると五穀豊穣となり平安な日々が続いた。」 とある。
よくあるパターンです。沖の光というのは神託の前触れみたいですね。
ここから先は事実。明治時代の規模縮小があったという史実です。
当稲荷神社の氏子地は、江戸時代まで保久良神社と共に近郊の本庄9ヶ村(森・深江・青木・北畑・中野・田辺・三条・生路・津知)の総氏神として篤く信仰されていたが、県の命令により明治5年(1872)に分裂し、更に、明治12年(1879)に村境界が他の荘村の仲介により定まった後は、森・深江・青木の3地区が氏子地として残り他は保久神社の氏子地となった。
拝殿 瓦葺き漆喰塀の独立したかなり大きな拝殿である。
拝殿側面
拝殿前 常夜燈 住吉大社で見られたような比較的大型の常夜燈である。大阪 住吉大社 I
拝殿の鈴
社額 稲荷社と書かれており寄進された額で、表でなく拝殿の奥に掛けられている。
拝殿は独立した建物になっていて本殿と直接繋がっていない。
拝殿奥に両側を玉垣に囲まれた本殿に至る参道がある。
その参道両横に狛犬が鎮座している。
狛犬二基 木陰にいて少々はにかんでいる。
こちらはかくれんぼをしている。
本殿は中門を持つ屋根塀で囲まれている。ということで本殿を拝むのは困難でした。
本殿屋根
境内末社の五連社殿
左から 綿津見神 (わたつみのみこと)で海の神様ですね。
大物主命 (おおものぬしのみこと)で大黒様です。
伊弉冉命 (いざなみのみこと)で国生みの女神。
正哉吾勝命 (まさかつわれかつのみこと)と読まれ 天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)のこと。古事記ではアマテラスの子。
神功皇后 (じんぐうこうごう)の五柱を祀っている。
本殿横の稲荷社 同じく境内末社となる。同じ稲荷神社だけど格下の社となる。
稲荷鳥居
奥に並ぶ朱鳥居連
稲荷社社殿
防寒態勢バッチリの守護神であるお狐様二匹。昨今は本当に寒いです。
神輿庫
二庫あるので少なくとも神輿は2つある。そんなバカげた感想しか思い浮かばない。
地車(だんじり)庫 動画でお見せした地車が収納されている。
常夜燈 タイプの異なるのを二基。
境内末社の 鳴浮女宮社(なうめぐうしゃ)
社額 浮彫である。 何やら伝承がありそうだがネットではそれらしきものは見つからなかった。
同じく境内末社の天満宮
短いが参道には石灯籠四基と狛犬が控えている。
狛犬二基 赤かび君
青かび君 きけんですからさわってはいけません。割れちゃてボクのようになります。
天満宮社殿
社殿裏に置かれている石祠
本家の大阪天満宮についてはこちらをご覧ください。
大阪 天満宮 I
大阪 天満宮 II
大阪 天満宮 III
大阪 天満宮 IV
商売繁昌の幟の並ぶ石段
二の鳥居
木目が現われていて柱が四角柱。しかも屋根は青銅葺でとても貫禄のある鳥居である。しめ縄の中央部がもっと太ければさらに良かったのだがね。
神額 これも緑文字のみで浮き彫りになっている。下手に彩色されていないのでかえって趣がある。
鳥居左脇の狛犬 通常は阿吽の二基だがこの一基単独である。その代わりデカいし親子獅子なのである。一基で神社を守っているので横綱みたいなもっと立派なしめ縄を締めてあげるべきです。
これでおしまい。
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